JP−@−A−0021/2 基礎の学び 2014年版(ver.4) Aグループ 神との関係 02 十字架と救い
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人がどれほど正しい行いをしても、その正しさによって神の元に到達することはできません。   
「キリストが父なる神とわれわれとの仲介者です。」彼によってのみ、神と関係を築くことが出来ます。
救われる為に必要な事はキリストが私たちの罪の身代わりに死なれ、よみがえったことを信じることです。

A
小さな子供はわがままで自己中心的です。誰も教えていないのに嘘をついたり、独り占めしたり、意地悪したりします。それを見るときに、人は生まれながらにして罪の性質を持っていることが分かります。
人は自分の罪により神と断絶させられ永遠の裁きを受けねばなりません。(イザヤ59:1-2)(ヘブル9:27)
神が人を地獄に送るわけではありません。人の罪が人を神から引き離し、人を滅ぼすのです。

B
(ローマ6:23罪から来る報酬は死です。
アルバイトをするとき働いた時間に応じて報酬が与えられます。つまり報酬とは行いに対する報いです。行いが無ければ報酬もありません。死という報いもまた「罪という行い」の結果なのです。

C
全ての人が死にます。それは全ての人が罪を犯したからです。
(ローマ3:10-12「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
D
罪の結果の死とは借金のかたに牢屋に入れられるようなもの(マタイ18:23―34)です。ですから、罪の代価を全部支払うまでは救われないのです。しかし、その支払いは高価で誰も払うことができません。
E
■神の解決・十字架
罪のある人間は死をもってしても自分ひとり救うことすらできませんが、罪のない人間が自分の命を罪の身代わりにささげるなら、その死は全ての人類を救う力があります。でも、罪のない人間はどこにもいません。ですから、人にはできないことを神がしてくださいました。

すなわち、神の子(すなわち神である)イエスが人となってこの地上に来てくださり、十字架にかかって死んでくださいました。それは彼を信じる全ての人を救うために十分な代価でした。
F
■救いを受け取るために必要なこと

  1. 信じる :人はだれでも信仰の面と不信仰2つの面を持っています。だれでも何かに対して100%信じるということはありえません。でも大切なことは、良いほうを(信じる方を)選び取ることです。

G

  1. 告白する :そのような揺れ動く心を持った人のために神は、ひとつの救いの基準をもうけました。それは自分の口で告白することです。私たちの舌には力があります。(ヤコブ3章1節―13節参照)

(ローマ10:9-10もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

大切なのは「心で」信じる事で「頭で」ではありません。全てを理解する必要はありません。決心が人の進む方向を決めるように神は人を創造されました。その決心とは「口で告白する」事によって表されます。
H
■救いとは何か

  1. 神の恵みであり無償のプレゼント

「恵み」=行いとは関係なく無償で与えられるプレゼント。(その反対に報酬は行いに応じて与えられる)

(エペソ2:8-9あなたがたは恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
I
多くの宗教では、救いを達成する為に、努力や犠牲が必要です。けれどもキリストの犠牲による私たちの救いは完全なので、救われるために、それに何も付け足す必要はありません。
J

  1. 神の哀れみによって罪の報いから免れることができる

罪を犯す人は誰でも裁きを受け地獄に行くことが決まっていました。しかし、キリストを信じる信仰によって、当然受けねばならなかった刑罰から免れることができます。それは神の哀れみによるものです。

「哀れみ」=当然受けねばならなかった刑罰や悪い報いを受けずにすむこと。
神は救いを与えられる方です。神が人を地獄に送るわけではありません。その人の罪が人を滅ぼすのです。
K
3)この世での救い
イエスを信じる人は、神との間を隔てていた罪が取り除かれます。それゆえ神との関係が確立されます。それゆえ神と直接コミュニケーションできます。つまり、これまで人生とは大海原に投げ出されたようなものだったのが神と関係によって生活の状況がうまくいく道が開かれたのです。
L
4)霊の救い
人は霊、魂(心)、肉体で作られています。霊というのは人間のもっとも中心的な部分です。その部分が生かされるということは、その人の根本が新しくされるということです。霊はイエスを信じ、告白するときに一瞬で新しく生まれます。
霊は神とコミュニケーションのツールです。霊が救われる事によって神と関係が持てるようになるのです。
M
聖霊が私たちのうちに住む
神の霊は聖い場所にしか住むことができません。私たちの罪が赦されて神との和解がなされると聖霊が私たちの内に住み、私たちは神とひとつになることができます。
聖霊は私達の救いの保証(エペソ1:13)でありキリストを死から復活させた方です(ローマ8:11)
N

  1. 魂の救い

(マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。(中略)11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
信じたときに神により自動的に平安が与えられることが多いですが、この言葉のように、キリストから生き方を学び生き方、価値観が変えられることによって得られる種類の平安があります。たとえば「他人との競争意識によって心に平安が無かった人が、生き方が変えられることによって平安をえるのです。
O
霊の救いは瞬間的なものですが、魂の救いを実感するにはしばしば時間がかかります。また、多くの場合、具体的に、一つ一つの束縛をといていく必要があります。その方法は次回以降の学びをご覧ください。
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  1. 肉体の救い

肉体の救いは究極的には後の世界で与えられる不死身の体です。私たちは罪の下に生まれたのでたとえ罪が赦されても体は滅びます。それでも、この地上で体験できる肉体の癒しは来るべき世界の予兆です。
Q

  1. 永遠の救い

究極的に言うなら、私たちの命の本質はこの地上にある状態ではありません。私たちはほんのわずかな時間、この地上ですごして、永遠の時間を別の場所で過ごすことになります。その別の場所とはいわゆる天国と地獄です。そのどちらで過ごすかは現在生きている間の決断にかかっています。
R
人の魂は永遠に生きる存在です。この肉体を離れた後(死んだ後)魂が消滅するわけではありません。天国か地獄かのどちらかで永遠に生きることになります。死んだ後にその行き先を選択できません。生きている間に選択しなければならないのです。(前後入れ替え)イエスを信じる人は、死んで肉体を離れた後も、まっすぐに天にいる神の元に行きます私たちは天国で神と永遠に生きることになります。 
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  1. 救いとは神の子供とされること。

全ての人がこの地上で良い父親に恵まれるわけではありません。しかし神こそが私たちの本当の父であることを知るなら人生に大逆転を与えるほどの心の癒しが与えられ、失ったものを取り戻せるのです。