JP-A61/3 基礎の学び 2014年版(ver.4) Aグループ 神との関係 (第6) 祈り

祈りは「神との関係を築くことコミュニケーション」です。神社で捧げられる祈りのほとんどは自分の要求を満たすための祈りですが、聖書が言う祈りは、神との個人的な関係を確立させるものです。
A
とはいえ「お願いの祈り」が悪いわけではありません。赤ちゃんが親に対してする最初のコミュニケーションは、「ミルクがほしい」「抱っこして」などといった自分の必要を訴えることであることと同様です。そして親が必要を満たしてくれる存在であることを体験するときに、親に対する信頼を学ぶのです。
B
A) 良い習慣としての祈り
祈りが神とのコミュニケーションであるなら、よい習慣として日々それを行うべきです。
C
クリスチャンは伝統的に食前に食事を感謝して祈る習慣があります。大切なのは神への感謝の心なので食前に絶対に祈らねばならないわけではありませんが、そういった一つ一つの小さな祈りによって良い習慣を継続することは良いことです。また、日々、神への感謝を思い起こすことができるのです。
D
また、就寝前に家族で祈ったり、家を出る前にする祈りは、主に感謝を表し、周りの人や子供達に良い習慣をつけるために有効です。また、実際的に、神はその祈りを通じて守りと祝福を与えます。
E
ある砂漠の隊商はいつも就寝前に感謝し悪しき者から守られるために祈っていましたが、祈らなかったある夜に強盗に入られてしまいました。でも彼にとって驚きだったのはその強盗の語った言葉でした。
「この宿営に押し入ろうといく晩も狙っていたが、いつも壁のようなものがあり、近づけなかった。けれども、今日は壁に破れがあり入ることができた。」それを聞いた商人は理解しました。彼がいつも捧げていた祈りにより、いつもは守りの壁が築かれていたが、その夜は祈り忘れたので、守りが無かったのだと。
F
これは極端な例かもしれませんが、祈りの重要性を彼が学ぶために、主があえて許された出来事なのでしょう。それでも、このことからも、「良い習慣としての祈り」といっても、それはマンネリ化した宗教的な行いというわけではなく、ダイナミックな神の力を地上にもたらすものであることがわかります。
G
主の祈り
(マタイの福音書6章9節〜)イエスは弟子たちに「祈る方法」を教えられました。これは「主の祈り」と呼ばれていますが、そこでは、主により頼む姿勢が現れています。
H
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
ただ、単に祝福を求めているだけではなく、毎日主の助けが必要であることを確認しています。
I
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
このことは、祈りが聞かれるためには、自分が解放されている必要があることを意味しています。
(マタイ18章23節)のたとえ話のように私たちが赦されるのは、他の人を赦すことにあります。
そのような実際的な行動が「聞かれる祈り」の鍵です。
J
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』        生活の守りを願います。
K
神への賛美と感謝
マタイ6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
「あがめる」とは「礼拝、賛美、感謝」することです。そのような心があるなら、私たちは守られます。
L
B) グループの祈り
M
神の計画を地上にもたらすためのもの
神に祈り願うことについて書きましたが、祈りは単なる自己実現のお願いのいごとではありません。
(マタイ6:10)で「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」と祈っています。
つまり、祈りの本質は天に満ちている神の力と栄光、祝福を地上にもたらすことであり、つまり神の御心が地上で実現するように願うことなのです。
N
祈りとは神の力をこの地上に解き放つためのものです。
聖書には「病人に手を置くと癒されます。」と書いていますが、逆に言うなら、神が病気の人を癒したくても(時には)私たちが手を置くまでは癒されないこともありえるということです。
O
神の力を地上に解き放つ祈りをする為には、一人より複数、あるいはグループで祈るほうが効果的です。
なぜなら主がこう約束されているからです。
P
(マタイ18:19-20まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
Q
結婚している方にぜひ勧めたい事があります。夫婦での祈りの時を持ってください。たとえ十分祈っているとしても、それが個人で祈っているだけなら十分ではありません。また独身者の方に勧めます。祈りのパートナーと共に祈るときを持ってください。一致した祈りにはそれには大きな力があります。
私たちの教会では毎週水曜日の夜に祈り会を持っていますが、それに参加されることをぜひお勧めします。
R
C) 個人的に神と交わる祈り
(マタイ6:6 )に書かれた「奥まった部屋」での祈りは「個人的に神と交わる祈り」について語っていますが、このような祈りは、信仰生活において大切です。
「私の目にあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)という有名な言葉がありますが、それをただ、聖書にそう書いているという知識としてではなく、神から直接受け取れるならどんなにすばらしいでしょう。
S
もちろん、誰でも最初からうまくは神から受け取れる人はいないでしょうが、私たちは聖書を読むときに神の言葉を受け取ることができます。聖書の言葉を声に出して読むだけでも効果があります。
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また、積極的に神との間の妨げになりがちな「赦さない心、処理していない悪霊との契約、癒されていない心」などを取り去ることも、神様から受け取るのに有効です。
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祈りの言葉が必要なわけではない
個人的な交わりの祈りにおいて、多くの祈りの言葉を並べる必要はありません。それは神ご自身を求めるときであり、神の語る言葉に耳を傾けるときなのです。
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異言の祈り
個人的な関係を建て上げるために、「異言の祈り」は非常に重要なツールです。この祈りは、決心によって継続できるものなので、多くの人に神との関係を築き上げさせる扉を開くことになるでしょう。
これについては別の機会に詳しく見ていきましょう。
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神と交わる祈りは私達に励ましとエネルギーを与えます。ちょうどガソリンスタンドで満タンにするように霊的エネルギーを受け取ります。これをしていないと霊的に干からびてしまいます。
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どのように神に祈りが届くのか
神は父、子(キリスト)、聖霊の三つでひとつであるが、神に祈るときに、どのように機能するかは次の言葉に要約されます。 「私たちはイエス・キリストの名によって、聖霊によって父なる神に祈る」
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(ヨハネ14:6 )イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
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イエスが私たちの身代わりとなって死んでくださったので私たちは父なる神の元に行くことができるのです。祈りの最後に習慣的に「イエスキリストの名によって祈ります。」という言葉を付け加えるのはそのためです。