JP−@−C−003−1/2 2015 年版(ver.4) C グループ クリスチャン生活の基礎 (3) キリストのくびき

(マタイ11:28〜30) すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたし
があなたがたを休ませてあげます。11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわた
しのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
A
くびきとは、牛を使って畑を耕すときに牛の首につける木で出来た枠のことです。くびきはM 字形をし
ていて2つのくぼみがあり、そこに2頭の牛を並べてそれぞれの首をはめ込むようにして用います。通常
ベテランの牛と若い牛を並べて用います。若い牛が従順を学ぶことが出来るようにするためです。キリス
トのくびきを負うとは、キリストの規範を見習い彼と共に歩むことを意味しています。
A
「くびきなんか負ってしまったら窮屈だ」と思う人もいるでしょう。しかし、キリストのくびきは「たま
しいの安らぎ」をもたらします。「疲れない生活」だからです。それは、「しなくて良いこと、不必要なこ
と」に忙しくする必要がなくなるからです。次のような事柄は多くの人に見られる「重荷」です。
B
例1)神にゆだねることが出来ず、気遣いばかりして疲れてしまう。
聖書は「明日の事を心配しないで」(マタイ6:34)と言っています。これが人間の言葉であれば、単な
る気休めですが、全能の神がそういわれているのですから、私達は安らぐことができます。
C
(ピリピ4:6-7) 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安
が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
D
例2)神が求めていること以上の事を達成しようとして余計なエネルギーを使ってしまう。
ある人は自己実現の為に多大な努力を払っています。また、たとえ人を助けることでも、完璧にしなけれ
ばできない性分の為に、疲れてしまう人がいます。キリストのくびきを負うときに、「何を」「どれくらい
する」という、ちょうどいい限度を持つことが出来るのです。
E
例3)ありのままの自分を受け入れることが出来ず、他の人と競争してしまう。あるいは自分
の子供に期待をかけすぎて、周りの人と競争してしまう。
ある人は、自分を立派に見せようとして、毎月ファッションにたくさんお金を使っていました。でもそれ
は、その人にコンプレックスがあったためであり、キリストにある人生の価値観を見出したときに、すな
わち、自分が愛されている存在だと気がついたときに、もう大金を費やさなくなったのです。彼は自分の
人生を振り返ってこういいました「キリストのくびきって軽いよね。」
F
例4)人の期待にこたえようとして、がんばって疲れてしまう。
私達は人を喜ばせようとするのではなく、神を喜ばせるべきです。人からの賞賛を期待するなら、過重な
努力を払ってしまいますし、賞賛を受けれないときに落ち込んでしまいます。また助けた人に裏切られた
ときには「あんなに助けてやったのに」という思いがやってきてストレスになるでしょう。
G
1 テサロニケ2:4) 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜
ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
H
■全ての人はどこかの国籍を持っています、それは言い換えれば、どこかの国の支配下にあるという事で
す。どこの国に生まれるかによって生活はまったく変わってしまいます。霊的な意味においても同様です。
あなたはどの国の支配下で暮らしたいですか。サタンの王国?それとも神の王国ですか?ある人は「どち
らでもない自分の王国だ」と言うかもしれません。自分の王国は住み心地がよさそうに見えても、神の王
国以外の全ては直接的であれ間接的であれサタンの支配の王国であると聖書は語っています。
I
(1ヨハネの手紙5:19) 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っていま
す。ですから私たちがもし、キリストのくびきを負っていないなら、私たちは、本当の幸せを得ること
も栄えることもできなくなってしまうのです。
J
JP−@−C−003−2/2 2015 年版(ver.4) C グループ クリスチャン生活の基礎 (3) キリストのくびき
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くびきを負うとは?(1)=その教えに従うこと。
1) 命じることを行い、禁じていることを行わない。
聖書の中にある禁じられた事柄は、私達が束縛を受けないようにするためです。イエスは「お金を愛して
はいけない」といわれましたが、それは私達から楽しみを取り上げようとしてるのではなく、お金に束縛
されないようにするためなのです。
K
2) 生活の優先順位を守る=聖書には私達が優先すべき順位について教えています。
私達が持つべき優先順位は@神 A家族 C教会およびミニストリーや仕事などです。優先順位が崩れる
ときに、私達の生活に問題が生じるでしょう。
L
*)日曜日の集会に出席する事は大切ですが、「優先順位の第一位に神を置く事=礼拝に出席する事」と
いうわけではありません。日曜日も仕事がある人がいます。ある人は神を愛するがゆえ日曜日に礼拝に出
席できるようにと仕事を変えますが、ある人は使命によって神の栄光を表すために日曜日も仕事をします。
私達の作られた目的は地の塩、世の光(マタイ5章13-17節)としてキリストのすばらしさを周りの
人に味わっていただくためだからです。
M
3) 境界線を持つ
人間関係の問題を複雑にしてしまうひとつの理由は、人との間に境界線が無いことです。誰かから言われ
たことを、無造作に他の人にしゃべったり(つまり噂話をする)ことによって人間関係が複雑になってし
まいます。
N
また、たとえば、お金を浪費しつづけている息子を持つ親が、息子の生活を正すことなく借金の尻拭いを
しているなら、気苦労が絶えないばかりか、息子がまともな社会人になるのを妨げています。
聖書は人を助ける事の大切さを教えていますが、それは境界線を持つという前提の上に成り立っています。
O
人が踏み込むべきではない境界線を越えて自分の領域に進入してきた(噂話を聞かされる・お願い事をさ
れる)ときに、「ノー」というべきです。それは近所の騒音というような小さなことにおいてそうですし、
心の責めや負い目によって相手の言う事を聞かざるおえない状況などもそうなのです。
P
キリストのくびきを負うとはどういうことか
くびきを負うにはどうすればいいか?(1)=キリストの思いを持つこと。
(1コリント2:16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私た
ちには、キリストの心があるのです。キリストと心がひとつになることによって、
Q
キリストの思いを持つ方法(1)聖霊に満たされる
聖霊は、キリストの御霊です。賛美や祈りによって聖霊に満たされましょう。
R
キリストの思いを持つ方法(2)聖書の言葉
ヨハネの福音書1章には「言葉はキリストになった」と書いています。聖書の言葉を読み、思
い巡らす(瞑想する)時に、キリストの思いが自分のものとなるのです。
S
キリストの思いを持つ方法(3)妨げを取り除く
私達はもともとキリストと同じ思いを持つことが出来るように作られています。ただ、心の傷
や、さまざまな妨げがそれを妨害しています。癒しや解放の過程を通ることによってキリスト
と心をひとつにすることができます。
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キリストは人として私達が体験するあらゆる苦しみを通られました。人間の弱さを知っています。彼と共
にくびきを負うというのは、私達が弱いときに、彼がすべて引き受けて下さるということです。
疲れない生活とはそんな彼を信頼することから始まります。それは自分のクリスチャンとしての歩みの経
験を通じて与えられるだけではなく、時には御言葉の掲示により、また、他の人の証を見たり聞いたりす
ることによって与えられます。
ですからクリスチャン同士の交わり、教会に集う事は重要なのです。