JP – @ – D – 005 – 1/3 2015 年版(ver.4) Dグループ 信仰の土台 05 与える

生きていく上で知らねばならない事は「全てのものは自分のものではなく管理を任されているだけ」だという
事です。ダビデは多くを捧げながらも「ただ、与えられたものをお返ししただけである」といいました。
A
(第1歴代誌29:13-14) 今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたた
えます。29:14 、、私は何者なのでしょう。、、このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。
すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。
B
神は私達に多くのものを与えてくださいました。それは次のような事柄です。(1)才能、(2)健康、(3)
お金、(4)時間、(5)機会、(6)心 (7)その他
与えられたものをどう扱うかについては(1)与えた人に返す。(2)受けたものを別のところに廻して分け
与えるという2 つの側面があります。 つまり、先ほど見た神に与えられた7つの分野において、与えてくだ
さった神にお返しすることと、他の人に再配布する事を学ばねばなりません。自分の人生の主人が自分で無い
事を知るなら、私達は容易に与えていくことができるのです。
C
こいのぼりは大きく口を開けています。大きく風になびくために、より多くの風を内側に取り込むためです。
しかし後ろ側を縛ってしまったらどうなるでしょうか。もはや風になびくことはできません。同様に信仰生活
においても、受けたものを流していく(与えていく)事に繁栄と成功の秘訣があるのです。
D
■ 才能を用いて他の人に仕える
(マタイ25:14)天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
25:15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一
タラントを渡し、それから旅に出かけた。・・・・・
E
この話の中で、旅に出た主人は神を表しており、タラントを受けた人は私達人間を表しています。タラントと
は当時の通貨の単位です。今日、英語で才能の事をタレントと呼ぶように、この金額の大小は神に与えられた
才能の大小を意味します。
神は、才能を用いて得た結果の大小によってではなく、それらを生かして用いた事実を喜んでいます。ところ
が自分は十分もらっていないと思って、才能を埋もれさせた人は叱責されました。
F
1 タラントを受け取った人は、他の人と比べて何も持っていないように感じたかもしれませんが、実際1 タラ
ントは今の貨幣価値で数百万円に相当します。つまり、自分では少ないと思い込んだだけで実際は十分与えら
れていたのです。ですから、自分は十分な能力が与えられていないと考えてはなりません。神が私達に望んで
いる事は、どれだけ活躍したかではなく、持っているものにどれだけ忠実かなのです。
G
マタイ25:29) だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取
り上げられるのです。
この言葉は厳しいと感じるでしょうか?しかし、持っていない人は誰もおらず、いるとしたら「自分は持って
いない」と思い込んでいる人なのです。神が私達に能力を与えたのはそれを生かして用いるためなのです。
この人が自分の才能を生かして用いることができなかったのは、「他の人と比較して自分はだめだと思った。」
=すなわち、コンプレックスがあったのです。
生まれもってコンプレックスを持っている人は誰もいません。それらは人生の中で傷つく経験によって形成さ
れていきます。ですから、私達に、心の癒しが必要なのです。心の癒しを妨げているのは、閉ざされた心です。
H
(ヤコブの手紙5:16)ですから、あなたがたは、互いに「弱さ」を言い表わし、互いのために祈りなさい。
いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。(太文字部分は私訳)
I
愛の環境の中で自分をオープンにするなら、聖霊の癒しの風があなたの心に吹き込むことができるのです。そ
のためも与えることに困難を感じている人は、心の癒しを受け取るために、牧師、スタッフに相談したり、コ
ミュニティーの中で自分の弱さをさらしていきましょう。
J
■ 体・健康
健康も若さも永遠ではなく、たとえ救われ新生しても肉体を持っている間は病気になるし、いつかは死にます。
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それでも、人は何らかの肉体的弱さをもっていたとしてもそれによって、自分に限界を与えてはいけません。
K
(ヘブル10:5 )「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってください
ました。10:6 あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。10:7 そこでわたし
は言いました。『さあ、わたしは来ました。、、(中略)、神よ、あなたのみこころを行なうために。』」
L
この聖書の言葉はキリストが人となられたこと(肉体という限界の中に収まられた事)すなわちご自身を犠牲
にされ、御心を行なわれたことについて言及しています。先ほどのタラントのたとえと同様に、人によって持
っている健康や若さは異なります。けれども、現在自分が持っている限界の範囲内で構わないので、自分の弱
さの中にあっても最大限自分を捧げて行きたいものです。それが本当に生きたささげものであり、礼拝です。
M
(ローマ12:1 兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、
神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
N
水野源三という方は高熱で全身マヒとなり、言葉を話すことも出来ず、自分を表現する方法は「まばたき」だ
けでした。彼は聖書を読み人生の希望を受け取り、クリスチャンになりました。後、母の手助けで、五十音図
を瞬(まばた)きで指定する方法で、多くの詩を作りました。彼の詩は今でも多くの人たちに希望を与え、その
名は「まばたきの詩人」として知られています。彼は自分が持っているわずかなものを生かして用いたのです。
O
たとえ自分の能力や肉体に制限があったとしても、それは問題ではありません。神にとって大切なのは持って
いるものをいかに忠実に生かして用いたかなのです。
P
■ お金
お金とは何かを定義するなら、今日の社会でもっとも多くの種類の物やサービスと交換可能な便利な媒体です。
その存在そのものは中立的で、用い方によって良いものにでも悪いものにでもなります。それは何かと交換す
るか、交換が約束されない限りそれそのものにはほとんど価値はありません。ですから、それに価値をつける
ためにはどのように用いていくかが大切なのです。
Q
お金が使えるのは生きている間だけです。この地上で得た資産を天国に持っていくためには天国で通用する通
貨に両替しなければなりません。その行為を宝を天に積む(マタイ6:20、19:21)と呼びます。一般的
な言い方をするなら「他の人に与える」ということです。つまり献金は天国に貯金する意味があります。
R
自分で働いて得たお金であれ、財産として受け継いだお金であれ、その管理はあなたにまかされていますので、
それをどのように用いるかはあなたの自由です。けれども、それを賢く用いていくべきです。
先ほど引用した第1歴代誌29章の言葉は語った、ダビデの言葉は、得た財産の一部を神にお返しするという
文脈で語られています。よく言われることですが、神はお金を必要としていません。それでは、お金を必要と
していない神に、どうして献金をする必要があるのでしょうか。
S
まず第一の理由は、彼が求めているのは私達の心です。そして献金という事柄は、私達の心がどこにあるかを
もっとも簡単に見分けることができる事柄なのです。
(マタイ6:19-21) 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。、、6:20 自分の宝は、天にたくわえな
さい。、、、6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
(21)
また、神の計画をこの地上で実行する為にお金が必要です。神がその力をこの地上で表すために、人を用
います。神は全能なので何でもできそうですが、人という地上における仲介者を通じてその計画を実行さ
れることを選ばれました。ですからお金という「交換可能な仲介的媒体」を使って神の御心がなされます。
(22)
また、我々の収入の十分の一はもともと神のものであると聖書(マラキ3 章8 節〜12節)は語ってい
ます。神から与えられた祝福の十分の一を神にお返ししましょう。
(23)
同様に集会に出席した際の礼拝献金も勧めています。それは感謝の表れだからです。また、季節の節目、
人生の節目、において献金をささげることはよいことです。
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(24)
■ 時間
現在の日本のような社会では、時間ほど他の人に与えにくいものは無いかもしれません。時間的な余裕が無け
れば、他の人に心を配ることもできません。心を向けるというのは時間を与えることでもあるのです。
日常生活の中で、神の栄光を表す機会、福音を伝える機会、誰かに手を置いて祈る機会がいつやってくるかわ
かりません。ぎりぎりの時間で、時間に追われた生活ではなく、毎日余裕を持って行動していくなら突然その
ような機会がやってきても、それを生かして用いることができるのです。
(25)
また、神に対しても、自分に語りかけていただくための時間や心の余裕を持っていません。聖書を全部通読す
るのに、ゆっくり読んでも80 時間ほどで全部読み終えることができます。一年かかってもいいので聖書を全
部読んでみる事をお勧めします。
(26)
■ 機会
(エペソ5:15) そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、
よくよく注意し、5:16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。5:17 ですから、愚かになら
ないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
(27)
神は私達に祝福やチャンスをくださいますが、その扉はいつも開いているわけではありません。もちろん逃し
てしまったからといって、それで終わりではないでしょうが場合によっては多くのロスを生じます。もちろん、
そういった失敗を通じて学ぶことになるので、すべては益と変えられます。チャンスを生かせなかったという
敗北感は、残りの人生をより神の導きに敏感なものへと作り変えます。
自分の人生を振り返ってみて、それは偶然のようであったとしても、自分が主によって守られたり、導かれて
いた事を思い起こして見ましょう。
(28)
また、機会を生かすとは、他の人に機会を与えることも意味しています。後進者に機会を与えるならば、自分
が次の上の段階に押し上げられる事を意味します。多くの人は、自分の地位などにしがみつき、他の人を建て
あげようとしません。それによって全体的な成長が滞ってしまうのです。
(29)
■ 心
(エペソ4:32) お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださ
ったように、互いに赦し合いなさい。
(30)
クリスチャンが持っている最も大きい財産の一つは救いと平安が与えられることによってもたらされる心の
余裕です。教会の集会の運営一つをとっても、もっとたくさんの奉仕者を必要としていますが、実際には必要
が満たされていません。人々を奉仕の働きから遠ざける大きな原因は心が忙しくなっていることでしょう。
(31)
必要を満たしあい、互いに親切にし、心が優しい人となることは、すべての人が願っていることですが、なか
なかうまくそれを実行できないのが現実かもしれません。 パウロはまた(ローマ7:15)で 「私は自分がし
たいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっている。」といっています。
(32)
(エペソ4:22) その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて
行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、4:24 真理に基づく義
と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
(33)
それを妨げる原因の一つは、私達が持っている古い性質であり、「自分にはそんなことはできない」という古
い「思い」です。聖書には、それを脱ぎ捨てなさいと書いています。服を着たり脱いだりするのは自分の意思
と行動によって行うように、人に心を向けること、愛することについても自分の意思を用いるべきです。
(34)
与えることには多くの分野がありますが、これらすべてに共通していることは、それを実行するために必要な
のはその人の意思です。そして意思を作り変えるために聖霊の力が必要です。また、聖霊が働くためにはその
人の心の癒しが必要なのです。