JP – @ – 002  2017年版(ver.5) Dグループ 信仰の土台 02 聖霊と聖霊のバプテスマ
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聖霊とは何か
1) 神の霊であり本質的に神と同じである: 前回の三位一体の学びで説明したとおりです。
人は誰でも霊を持っていますが、霊というのは、その人の最も中心的かつ本質的なものです。
同様に聖霊とは神の付属物ではなく、神ご自身の本質でありそのものなのです。
A
2) 私達の内にすむ: 
イエスを信じた人の内に住みます。つまり、救われたことの保障です。(1コリント3:16 )「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」つまり神は私達のそばにおられ、(イザヤ7:14)『インマヌエル』(訳すと「神は私達とともにおられる」のです。
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3) 救いの保障である:(エペソ1:13)・・救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。・・
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(ア) 御霊が住むがゆえ神は決して私達を捨てることはありません。
(ヤコブ4:5)「それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。」 とあるように、神が私達をしたい求めるのは、単に私達が神の子であるだけではありません。私達の内に聖霊が住んでいるからです。
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4) 人格を持ち、意思決定をされます。
(ア) 私達に話しかける:(使徒8章29節に御霊がピリポに話しかけた記述があります。
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(イ) ですから悲しむことがあります: (エペソ4:30) 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
基本的には、紳士なので私達に無理強いをすることはありませんが、彼を悲しませてしまう事は起こります。ピノキオに出てくるコオロギは聖霊を現しているといわれています。
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5) 祈りを助ける: (ローマ8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
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6) 人格者を形成する:(ガラテア書5章22〜23節)に聖霊の実について書いてます。聖霊が内に住むことによって培われる人格的な実です。御霊の働きを許すならば、人は自然と人格者になれるのです。
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7) 奇跡の源: (1コリント12章)には「知恵の言葉、知識の言葉、信仰、いやし、奇跡を行う力、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力」などといった聖霊が与える9つの奇跡的な力について書いています。聖霊を持つ人は奇跡を行うことができるのです。
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8) 賛美を助ける: 聖霊の雛形であるヘガイが勧めたものだけをエステルが携え王の前に行くときに王に喜ばれました。同様に御霊は私達の賛美を助け、最高の賛美礼拝へと導きます。
また、(ヨハネ5:41)「 わたしは人からの栄誉は受けません。」とあるように、イエスは私達の人間的な賛美のことばを願っているわけではありません。
正しい賛美の方法は、御霊の助けによってイエスをほめたたえることです。聖書にはこう書いています。(ヨハネ16:14)「 御霊はわたしの栄光を現わします。・・・」
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(ア) 聖霊を賛美してもいいでしょうか。: 問題はないでしょうが、聖霊がそれを望んでいるかどうかは別の問題です。(ヨハネ16:14 )「御霊はわたしの栄光を現わします。」とあるように、御霊の働きはキリストを高く上げる事です。ですから、聖霊を賛美することを通常しません。
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■ 聖霊のバプテスマとは何か
バプテスマとは「浸す」という意味です。ですから、単に聖霊が与えられること(内にすむこと)と区別して理解すべきです。コップに水を少しずつ注ぎ続けた時に、ある時点であふれ流れます。これが聖霊のバプテスマです。したがって多くの場合明確に目で確認できるしるしが伴います。
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使徒の働き2章で初めて聖霊のバプテスマが与えられた時に、人々は(具体的な)他国の言葉で語ったように、それを受ける時に顕著な表れがあり、そのしるしは多くの場合「異言」を語ることです。
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救われた時に自動的に聖霊のバプテスマを受けるという考え方がありますが、次の御言葉からもそれは正しくありません。
使徒8:15 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。8:16 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
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イエスの弟子達もイエスが地上にいる間にも奇跡を行いました。それは聖霊が彼らの上にとどまっていたからです。けれどもその時点では、まだ誰の内にも聖霊は住んでいませんでした。
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(ヨハネ20:21)「・・・父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
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イエスが息を吹きかけたときに、弟子達は聖霊を受けました。それはちょうど私達がイエスを信じたときに聖霊が与えられるのと同じような状態です。けれども聖霊のバプテスマとは、それよりもさらに大きな聖霊の注ぎです。それが与えられるまで、彼らはペンテコステの日まで待たねばなりませんでした。
Q
異言を語らないからといって「聖霊のバプテスマを受けていない」とはいえませんが「自分は受けている」と主張するのであるなら、異言を語れるように求めるべきです。
R
聖霊のバプテスマを受けると人は大きく変えられます。
注意)一度与えられたらそれで良いわけではありません。求め続け満たされ続ける必要があります。
S
(使徒1:8) しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
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1)聖霊のバプテスマは宣教の力です。:ですから先ほど説明した宣教の「奇跡の源」を求めるのでしたら、聖霊のバプテスマを受けるべきです。
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2)確信が与えられます:自分の救いの確信、伝道したいという思い、世の誘惑に打ち勝つ事が容易
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3)その人の徳を高めます: (第1コリント14章4節) (異言の祈りにはF−04で詳しく解説します。)
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聖霊のバプテスマを受ける(異言で祈り始める)には:
1) 求める: 求めるためには、それが必要であることを知るべきです。
多くの人が聖霊のバプテスマを求めなかったり、受けて維持しないのはその力と必要を知らないからです。
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2) 祈ってもらう: 使徒の働きの中で@按手して祈られたときに聖霊のバプテスマを受けたという記録があります。油注がれた集会の中にいたり、祈られる事はその助けになります。
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3) 固定概念を捨てる: ある人は、間違った教えや、こうでなければならないという固定概念や、特別な人の為のものであるといったような考え方によって、求めなかったり、意欲を失ったりしています。
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4) 異言を真似てみる: 異言といっても聖霊があなたの舌を捕まえて動かすわけではありません(1コリント14:14に「私が異言で祈るなら私の霊は祈る」とあるように異言は(聖霊により活性化された)あなたの霊が祈ることです。ですから自分の意思を用いて真似てみるのは良い方法です。