JP – @ – 003 – 1/2  2015年版(ver.4) Eグループ 良い地に種をまく03 人生の目的  
■・■


■人生の目的
人生の目的について学校では一切教えませんが「なぜ私たちは生きているのか」「なぜ人は存在するのか」を知ることはクリスチャン生活以前に、知るべき「人生の基礎」です。
A
もちろん「自分の人生の意義や目的を見出している」という人は大勢います。その人に質問したら「私の人生の目的は〜である」と答えることでしょう。でもその答えには根本的な視点が抜けています。
B
あなたは部屋の中にある物を見渡し、それらの目的について尋ねたら答えることができることでしょう。たとえば椅子の目的は「座るため」。コップの目的は「飲むために液体を入れるため。」といった具合です。
C
しかしそれは正確ではありません。というのも、その回答は手段であって目的ではないからです。目的について言うなら、私たちの周りにあるすべてのものはただひとつの目的のために作られました。
その目的とは「人の役に立つため」なのです。
D
そして、多くの場合に目的と呼ばれているものは「目的達成のための手段」なのです。
コップは「水を入れるという手段を通じて人の役に立つため」椅子は「人が座るという手段を通じて人の役に立つため」に作られたのです。
人が作ったものすべてがひとつの目的の為に作られたことを理解できるなら、人が存在する理由もただひとつであることも理解できることでしょう。その目的とは神の栄光をあらわすためです。
E
人は自分の人生の目的を見出そうとしてスポーツ選手になることや弁護士になることについて語ります。それは良いことです。でもそれが目的ではなく手段であることを知らねばなりません。ある人はスポーツ選手や医者という手段によって神の栄光をあらわし、ある人は主婦として神の栄光を表すのです。すなわちすべての人がそれぞれ自分が置かれた立場であらゆる事柄を通じて神の栄光を表すのです。
F
(イザヤ43:7) わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。
(イザヤ61:3) シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。
G
■ 神の栄光をあらわすとは具体的に言うなら主に次のいくつかの事柄に分類できるでしょう。
(1)神を愛し神に愛されるため
(2)この地上と霊的世界の仲介者として神の意思を行うために。
H
■ 人は神に愛され神を愛するために創造された。
聖書には「神は愛です。」と書いており、神の第一の御性質は愛です。しかし、愛というのは対象があってこそ愛です。(第1ヨハネ4章16節〜17節)に「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。」とあるように、神の愛が完全であることは私たち人の存在を通じてあらわされたのです。
I
そして私たちは神を愛します。イエスは第一の戒めとして(マタイ22:37)で『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』と語られました。
J
■この地上と霊的世界の仲介者として神の意思を行うために人は創造された。
このことを二つの事柄で書いてみたいと思います。
K
(1)ひとつは神の栄光をあらわすためです。
もしスポーツ選手の人生の目的がスポーツであるなら、体が故障すればもう人生は意味がなくなってしまいます。でも神の栄光を表すことが人生の目的であるならどのような状態であっても栄光を表すことができます。
L
人生にはいろいろなことが起こります。不慮の事故というものも存在します。その任務は変わるかも知れません。星野富弘さんは体育教師でしたが宙返りの模範演技で失敗、頸髄損傷の重傷を負い首から下が麻痺してしまいました。入院生活の間にイエスを信じ、後に口にくわえた筆で水彩画、ペン画を描き始めました。
今では彼は世界的に有名な画家です。
何度か身体障害者の話を引用していますが、それは肉体的制限を持っていたとしても、神がその人を用いることができることを知るなら、すべての人は、どのような弱さや欠点を持っていたとしても何かすることができることを知るためです。
M
(2)二つ目に与えられた任務を果たす
私たちにそれぞれ個性が与えられているのはその個性を用いて与えられた任務を果たすことにあります。ですからあなたの個性はよいものであり、すべての人はその人にしかできない働きというものがあるのです。
N
さまざまな任務の中で大きな任務のひとつは「人を愛すること」です。神を愛することに次いで第二の戒めとしてマタイ22章39節では「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と語られました。
O
そのような任務とは別に霊的な任務というものがあります。それはさらに重要です。このことについて「仲介者」というキーワードで見ていきましょう。
P
■ 人は霊的世界と実際世界との仲介者である
(知るべきことその1)人間という存在はあらゆる被造物、神や悪魔を含めてあらゆる霊的存在の中で特殊な存在です。それは人だけが「霊、魂(心)、肉体」の三つで構成されているからです。
Q
(知るべきことその2)この世は霊的世界と目に見える物質世界の2つによって構成されています。
R
(知るべきことその3)霊と肉体の2つの性質をも持っている人間だけがその霊的世界と物質世界の両者をつなぐことができる存在である。 霊的世界と物質世界という2つの世界には境目がありどこからでも効率よく影響を与えれるわけではありません。しかし、人はその両方の世界の通り道となるのです。
(20)
(知るべきことその4)霊的世界の霊的存在は人を通じてこの地上に影響を与える。
神は全能ですが、この地上をその御業を行うのに人を通じて行なうようにこの世界をデザインされました。病人に手を置けば癒されると聖書は語っています。どうして私たちが祈るまで神は御業を行われないのでしょうか?それは2つの世界のつなぎ目に存在する人間を通じて御業がなされるようにされたからです。
(21)
この理屈がわかるなら、祈りの重要さもわかることでしょう。神はわれわれの祈りを通じて働くのです。
(22)
同様に、霊的存在であるサタンももまた、この地を汚すために人を通じてその業を行います。
霊的世界と物質世界をつないでいるのは私たちの魂(心)です。その理屈がわかるなら、私たちの「思いの領域」がしばしば霊的戦いの戦場となってしまうのかがわかることでしょう。
                                                                                                                                                                    (23)
(知るべきことその5)神が人を創造した目的はこの地を「神に代わって治めるためである」ことが創世記1章28節に書いております。
(24)
多くの人がサタンによって汚れた思いを抱いたり、罪を犯すような誘惑をうけております。そして敗北感を抱いてしまいます。しかし、私たちの魂が戦場であることを理解するなら、それが大きな問題ではないことがわかるでしょう。なぜなら誘惑を受けたときに葛藤している事実は私たちが霊的な悪いものが霊的世界から目に見える世界に流れてくるのを食い止めているからです。
そう、葛藤があることは戦っていることであり、私たちはすでに勇者なのです。
(25)
自分を通じて神が事を行われる事を知るなら人はどのような状態にあっても誇りと威厳を持てるのです。