JP – @ – 005-b  2021(ver.8) Eグループ良い地に種をまく05の付録(男女交際と未信者との結婚) 

・■1/3   (22/04/25)   

これは(E-5)の「してよいこと悪いこと」の派生です。 (E-5)本文と合わせてお読みください。
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2020年〜2022年にスタッフミーティングでこれまでの教えを修正する為に意見を聞き、意思の疎通を行いました。主な論点は「男女交際」と「未信者と結婚や交際」についてで、次のような結論を出しました。
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  1.  これまで男女交際に対してやや否定的な教えをしてきたがそれについて修正の必要を感じる。

その理由は

    1. 傷つくことからは守られるかもしれないが自立し、自分で考える機会を奪ってしまう。
    2. 世の風潮が恋愛しない結婚しないに傾いている中、教会ではさらにその傾向がはびこってしまう。
  1.  そういった中、今までの良い教えは良い教えとしながらも、成長の機会を与えて見守ることにする。
  2. アルマ先生の教えなどの律法主義的な束縛から解放される必要がある。(もちろん、友人として知り合う事はこれまでも推奨されてはいたが、思い込みからの解放のためには振り子を別方向に振る必要がある)
  1. 相手が未信者であっても友人を救いに導くことができるならそれは素晴らしいことである。
  2.  そういった意味と流れで未信者との男女交際は禁じられたものではない。
  3. その交際を通じて相手を救いに導くことができるのであるなら、それは素晴らしいことです。
  4. しかし、それには相手が救われないで結婚に至る可能性があります。
  5. それでも、自分をライフプレイスにさらして宣教師的な働き、すなわち伝道しようとした人が恥ずかしい思いをさせてはならないと考えます。
  6. その結果、たとえ相手が救われず、また、そういった中で結婚を決意したとしてもその結婚を教会が祝福し、責めを感じることがないようにしたいと思います。
  7. 上記のGについてさらに詳しく説明すると以下のようなものです。

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その人は(ある意味)伝道の為にマーケットプレイスに飛び込んだわけですから、そういった人に対して、たとえうまくいかなかったからといって敗北者意識を与えてはならないという配慮です。
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        1. もちろん、人によっては宣教意識は、交際期間に伝道したわけではない人もいるでしょう。
        2. また、単に「恋愛感情に引きずられて妥協した」人もいたことでしょう。
        3. しかし、ライフプレイスミニストリーの性格上それについて私たちは分析しすぎないようにしたいと思います。(主はすべてを益と変えてくださるからです。)
        4. また、次の御言葉にあるように神様の判断と私たちの判断は異なるからです。

ヘブル11:26 彼は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。11:27 信仰によって、彼は王の憤りを恐れることなくエジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです。

        1. モーセは自分が逃亡者、敗北者だと思っていた行動を神様は信仰の行動だと評価しました。

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  1. これらの内容について以下の事柄を通じて教会に告知することを決めました。
        1. ユースの基礎の学びE−5の中で行う。
        2. 公な集会の中での告知(20/12/13日の杉トーク&22/02/27の礼拝メッセージ)でした。
        3. 機会を見つけてその他の方法によって

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この教会の方針は画期的です。というのも、「交際を通じて未信者に伝道してクリスチャンにしてから結婚する」という戦略については多くの教会で語られていると思いますが、「伝道するほどの意識や成熟さが無い人」であっても責めを感じさせず祝福を与えるというものだからです。
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以下は男女交際を始めるのにあたって留意すべき点などをまとめております。
(文字数の関係で、クリスチャンの女性が未信者の男性を交際する場面を想定しています。)
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■付録■未信者の異性と男女交際について
男女交際について考える上で、その交際の目的とゴールは何なのかを考えるべきです。相手が信者、未信者を問わず、友達関係以上の男女の関係は結婚に至る可能性があることを理解してください。
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結婚するならクリスチャンのほうが良いのは明らかです。(どんな人でも良いわけではありませんが)・・また、2コリ6:14に「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。」とも書いています。
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しかし、未信者との交際を否定してしまうなら、成長との機会を奪い、また、未信者の異性に対して恋愛感情を抱いたり、現に交際している人に責めの思いを与えてしまうかもしれません。またキリストの香りを放ち、その人を救いに導く機会でもあるので積極的に関わるという意味においては推奨されるべきだとも言えます。
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というのも、キリスト教世界では女性より男性が少ないので、数学的に言うなら、そのままではクリスチャン男性と結婚できるクリスチャン女性は少ないことになるからです。(これ以下女性目線で話を進めます)
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ただ、こればかりは一筋縄ではいかない問題がたくさんあります。恋愛感情を伴うときに感情的に引きずられ、コントロールされあなたがその方をキリストの元に導く代わりにあなたを迷わすこともあるからです。
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それでも(E-5)にあるように「何をするのか」でなく「あなたが成熟している」ことが大切であると考えます。
まだ神を知らない人が交際を通じてクリスチャンとしての生き方の素晴らしさに触れ信仰を持ち、救いに導かるとしたらそれは素晴らしい事ですし結婚に至るのも良いことです。ある意味で最高の伝道方法ともいえます。
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もちろん、交際する際に、交際の意味を確認しあう必要があります。世の基準だと交際すればセックスするものだと考える人も多いからです。 また、正確に言うなら男女交際といった感情を刺激し合う関係ではなく、互いを知り合い、建て上げ合う関係から始めることが良いことはいうまでもありません。
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確かに、冷静な目で相手を見、そして感情的に引きずられないようにするために一番良いのは男女交際の恋人関係ではなく、友人として関わっていくことです。私も妻と出会ったときは、私は未信者でした。そして彼女とはただの知り合いでした。のちに私がクリスチャンになり、札幌に引っ越したのちもただの同労者であり友人でした。それは、本当に良かったと思います。冷静な目で相手を観察し知ることができたからです。
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もちろん、うまくいくとは限らず交際期間の間に最善を尽くしても、その方が救われない事もあります。
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ただ、男性は目的思考なので、結婚前ならあなたを手に入れる為には何でもする傾向がある(つまり信じたふりをする可能性がある)でしょうが、それにもかかわらず結婚前に救いに導けないのなら、結婚後に救われることをあまり期待できないかもしれません。
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たとえそうであっても確信と平安の中でその方との結婚をあなたが選択する事も起こりうることでしょう。
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教会としてはそういう方を拒絶するわけではありませんし、あなたの決断と結婚を尊重することでしょう。
そして、今いる立場で、あなたが主の祝福を受け、最善がなされ、すべてが益と変えられるように祈ります。
ライフプレイスミニストリーの特徴は、人を信者か未信者か、教会の外か中かを分けないことにあるからです。
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そして、その結婚が一定の条件下(たとえば相手が妻の信仰の自由を保障し、子どもと教会に出席することを容認するなど)でなされるのであるなら、それはライフプレイスミニストリーが継続されることを意味します。
つまり戦略が変更されるのです。子どもを育て、その子どもとともに教会に集い、信仰を継承し、神の国を拡大していくのです。そして(1ペテロ3:1)にあるように結婚生活を通じて夫を救いに導いていくのです。
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結婚というものはある意味賭けなので、相手がクリスチャンならうまくいくというわけではないし(もちろん、結婚の教えを受け、問題を生じたときに適切な助けを求めるなら、もちろんうまくいくでしょうが)、また
未信者と結婚したら不幸になるとは限りません。また、それを通じて神様が何かをなさることもできます。
その方が救われ、それどころか、想像しなかった形で用いることも神様はおできになるのです。