@−F−4 2017(Ver.5) 基礎の学び Fグループ 整えられる為に (4) 導きを求める
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私たちには自由が与えられています。ある意味において、私たちがした決断が(たとえ最高の選択でなかったとしても)それを通じて、人生が作られます。
A
ひとつの極端
ある人は、その日に着る服の種類やネクタイの色、料理の献立まで祈って決めます。それは主へのまったき信頼を意味するものであり、その動機は良いものかもしれませんが「すでに私たちにゆだねられた事は自分自身で決断していくものである」とうい原則があるということも知っておく必要があります。
B
(ポイント1)
神は私たちをロボットとして作ったのではなく、私たちの人生もあらかじめ定められてはいません。
C
(ポイント2)
神は私たちの間違った過去や決断も益と変えることができる。
D
時々、無茶な行動をして、結果的にうまくいって「私の行動は御心であった」という人がいますが、うまくいったからといってそれが御心や良い選択であったとは限りません。むしろ謙虚に「神がすべてを益としてくださった。」というべきです。例えば、元やくざのクリスチャンが効果的な伝道をしているからといって「昔彼らがやくざだったのは神の御心だった」という事はできないのです。
E
でもこの事実は逆に私たちが罪や弱さのゆえに最高の選択ができなかったとしても、その中であっても神は道を開き助けを与えてくださる希望があることを意味します
F
(ポイント3)良いものを選び取り神の御心を求める。
人ロボットではないし神はすべてを益と変えるからといって何でもしてもよいわけではありません。
神は一人一人の人生に最高のものを準備していますから良いものを選び取って行きたいものです。みなさんが神様に尻拭いをしていただくだけで、受けるべき祝福を受けとれず、生きるのが精一杯のクリスチャンであって欲しくありません。
人間的には良く見える決断であってもそれが良い決断とは限りません。信仰的な視点から見て敬虔そう、謙虚そうであってもそれが最高の決断とは限りません。ですから、その為に私達は主の導きを求めて、決断していく術を学ぶべきです。
H
人生における大きな選択を迫られる事は何度か起こりますが、そこまでの大事でなくても日常生活の中で決断を迫られることはあります、その際の判断の基準を見ていきたいと思います。
I
1)自分の現在の立場における常識
大学生が退学をして何か別のことを始めるとか夫婦が別居して何かをするというような導きは通常ありません。
J
2)自分の願い
(ピリピ2:13神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
神が私たちを導く主要な手段の一つはその人の心にそれをしたいという願いを与えることにあります。けれども(当たり前の話ですが)すべての願いは神が導いているとは限りませんし、自分がいやなことを神が導くこともあります。しかし神は私たちに感情を与えたのですから、自分の願いや好みというものも決断する上で大きな要素となります。
L
3)心の妨げを知る
人の決断を左右する好みや苦手意識というものは多くの場合過去の経験によって形作られます。神は私たちを新しく創造されたのですから、過去のトラウマによって未来が妨げられてはなりません。
M
4)両親、年長者のアドバイス
たとえ未信者の親であったとしても、時にはその言葉を通じて導きを与える場合があります。反対された時に「どうせ親はクリスチャンではない」という態度ではなく立ち止まって考えるのは良いことです。
私の二人目の娘の名前は別の名前をつける予定でしたが、私の両親の反対に会い予定を変えました。反対していた理由はあまり理性的な理由ではありませんでしたが、吟味しなおした結果、そのアドバイスを受け入れました。事実、今の名前のほうが私たちは気に入っています。
N
5)霊的指導者のアドバイス
特に牧師はその人の霊的な見張り人です。その言葉に耳を傾ける事は大きな益となるでしょう。ただ、その人の霊的成熟度に応じて語ったり容認するので「いいよ」と言ったとしてもそれがあらゆる意味において良いわけではありません。もし、成熟を目指したいのなら、勧めや警告を受け取る準備があることを言い表して、さらに深いアドバイスを聞くと良いでしょう。
O
6)必要な資源があるか
ルカの福音書14章28節に「塔を築こうとする人は建てる前に費用があるかを計算するべきだ。」とあります。神から確信を受け取り信仰によって行動するとしても自分に欠けているものが何か知るべきです。
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7)自分の霊的生活との釣り合い。
上の御言葉は金銭についての話だけではありません。「信仰によって行動する」のなら、それを支えるだけの霊的な土台、すなわち祈りや神との関係があるかどうかを調べて見るべきです。ただ「確認がある」といって飛び込むのはおろかです。もし、そのような預言を受けたとしても、その預言した人はあなたの霊的生活についてまでは知らないのですから。
Q
8)否定的状況が何かを分析
否定的状況があるからといって決断を取りやめる事はありませんがそれを分析し吟味するのは良いことです。たとえば健康上の問題があるのに過酷な働きをするのはよほどの確認が必要です。
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9)自分の動機は何かを分析
牧師や人を喜ばせるためであったり、罪責感や、心の傷から来る衝動は時には信仰的に見えますが正しい動機ではありません。(民数記14:40)で不従順だった民が罪責感によって主に従おうとしたときには、もうすでに遅し、その時点ではもう御心でなくなっておりました。
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10)平安があるかどうか
              心にある平安は確認のための大きな要素です。特に自分の感情の平安でなく、霊の確信によって与えられる平安に耳を傾けるべきです。サタンは私たちに不安を与えることができるのですから不安があるからといって、それをやめる理由にはなりません。
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11)情報を集める 情報不足から来る不安もあります。情報を集めることも助けとなるでしょう。
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12)状況、
年齢、地理、教育、健康、性別、行動の自由、経験、タイミング、必要、法律的問題、経済、その他
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13)聖書の言葉と聖霊が与える確信による
              神は直接あなたに語ることができます。それは御言葉を通じてであったり、啓示によります。
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確認としるしを求める
              しるしや不思議、奇跡によって確認がなければならないわけではありませんし、また、あったからといってそれだけで判断するべきではありません。それらはあくまでも確認のひとつとするべきです。
けれども、たとえ神の御心にしたがった決断をしたとしても、後に不安になったり恐れを持ったりすることもありますのでしるしや奇跡があるなら困難の中で励ましとなることでしょう。