@−F6 基礎の学び 2017(Ver.5) Fグループ 成熟の為に () 伝道
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伝道とは人を救いに導くための行動ですが、キリストの命令は、弟子にする(マタイ28:18)事に至る長い過程です。ですからそのような大きなゴールに向かう一つの過程である事を心に留めておいてください。
A
■何を伝えるのか(1):福音
(マルコ16:15)にあるように聖書は「福音を」伝えなさいと書いています。福音とは一体なんでしょうか。
1)その意味=良いお知らせ。
良いお知らせといってもバーゲンセールレベルの話ではありません。コロサイ2章12節〜15節にあるように人生に対する3つの大きな勝利の知らせです。

  1. 死に対する勝利: 聖書によれば死は私達が罪を犯した結果生じたものです。イエスが死からよ みがえり、「死」そのものを滅ぼしたのです。キリストの十字架と死と復活について。
  2. サタンに対する勝利: 悪霊のあらゆる仕業にに対する勝利が与えられています。
  3. 世に対する勝利:この世のすべての問題(経済的、病気、孤独、絶望)に対する勝利

E
福音のメッセージの要約
福音の本質を要約したものは30秒あれば伝えることができます。
F
人は神に愛されるものとして神によって作られました。しかし、人の内に罪が入ったことにより、人と神との間に壁が生じてしまいました。だから人は神を知ることもその声を聞くこともできないのです。
しかし、今から約2000年前にイエスキリストが十字架上で私たちの罪の身代わりに死んでくださったことによって、キリストを信じる人はそのすべての罪が赦され、神と人との間にあった壁が取り去られ、神の子供とされるのです。そして父なる神と親しい関係を持つことができるようになるのです。
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■ 救いのメッセージのパッケージ
しかし、そのような言葉をいきなり語ったとしても、それだけでは相手の心に響かないことでしょう。
ですから必要に応じてそれらをおさめるパッケージが必要です。
H
そのパッケージの代表的なものは、あなたの人生が変えられた証です。絶望が希望に変えられたか、病が健康に変えられたか、キリストにある命を実感したか、迷いが確信に変えられたかなどです。
「証し」という言葉のごとく裁判で証人が証言するように変えらえた人生を証言するのです。
I
路傍伝道など、初対面の人に対しては「インフォユース」のアンケートのような社会的慈善活動であったり「あたらしいみかんのむきかた」のトラクトを用いることによって驚くほど簡単に話しかけることができます。
J
■何を伝えるのか(1):希望
第一ペテロ3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
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別に神学や聖書を説明しなさいとは書いていません。難しいことを語ることを神が求めているのではなく私達の希望の源がなんであるかについて語るのです。私達はいつも説明できるように準備しているべきです。
希望を与える言葉@:徳を高める肯定的な言葉
希望を与える言葉A:あなたの人生が変えられた証し
希望を与える言葉B:又聞きした他の人の人生が作りかえられた証しや、キリストの力のニュース
希望を与える言葉C:上記の出来事の源が何なのかの説明がイエスキリストを宣べ伝えることなのです。
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何を伝えるのか(3):神の力
使徒の働きを見ると福音を語ったパターンは殆どの場合、まず神の奇跡を人々が見てそれに対して説明がなされました。それゆえ人々は熱心に耳を傾け、キリストを信じたのです。ですから、私達も福音を言葉だけで語るのではなく。積極的に、奇跡と癒しが起こるようにも祈っていくべきです。
Q
別に、必ず病気が癒されたり、奇跡が起こらねばならないわけではありません。癒すのは神の業であって私たちが責任をとることではありません。それが起こるかどうか心配する必要はありません。
■ 私達が知るべき基本的な神学
1)すべての人は罪びとである。
(ローマ3:23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
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2)キリスト以外に救いはない。
(使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。、、、、
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3)キリストを信じない人は滅びる
(2テサロニケ1:8〜9)そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。・・・主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
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キリストを信じる事は単に生活がよくなることではありません。キリストを信じないものは裁かれ滅ぼされるのです。神がその人を滅ぼすわけではありません。その人の罪がその人を滅ぼすのです。
神は「引力の法則」を創造されたように「死と命の霊的法則」をも打ち立てられました。人が引力の法則を無視して高いところでふざけていて落ちて死んでも神のせいではないのと同様に神の秩序に逆らった人間が滅んでしまっても神のせいではないのです。
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4)誰が救われるかは決まっていない。
あなたが福音を伝えたからといってその人が救われるとは限りませんが、ただひとついえている事はその人が福音を聞くことが無ければ救われるチャンスもないということです。
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5)あなたの隣人の救いはあなたにかかっている。
神は福音をを伝えません。隣人の救いの為には誰かが語らねばなりません。日本では多くの場合、職場や家族の中でクリスチャンはあなた一人かもしれません。周りの人の救いはあなたの行動にかかっているのです。
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■ どこまで信じたら救われるか?
聖書に書かれたもっとも最初の段階のひとつはキリストを主と告白することです。
(ローマ10:9~10) なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
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その告白とは次のようなものです。イエスは自分の救い主でありキリストが死からよみがえったこと(ローマ10:9)。十字架の死が自分の罪の赦しの為であること(1ペテロ2:24)を信じることであり。キリストを自分の人生の主とすること(1ペテロ5:7)。罪の赦し(神との和解)を請うこと(エペソ2:16)。
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とはいえ、信仰告白に導いて救いを与える方法というのは、マニュアルのようなものなので、それが救いの唯一の方法ではありません。 また、私たちのゴールは弟子を育てることができる弟子にすることなので、ただ信じる祈りをするだけで後が続かないような伝道であってはいけません。
洗礼を受けるまでは教会に集っている人であっても求道者扱いをする教会もありますが、確かにその方針にも一理あります。なぜなら、クリスチャンとは「キリストに従う生活をする人」だからです。
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ですから、告白させることをあせって、相手につまづきを与えるようなやりかたは適切ではありません。そのバランスはシチュエーションによって使い分けると良いでしょう。路傍伝道のようなその場限りで次にいつ会えるかわからない関係であれば、告白に導くのが良いでしょう。友人関係のような長期的な戦略が可能な場合は、無理に告白させられたと感じるようなアプローチを避けるのも知恵です。
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それと同時に、相手をつまずかせるのではないかと心配するあまり告白に導くのをためらいすぎるのも問題です。相手の心に何が起こっており、神がどのように働いているかは人にはわからないのですから。
私が路傍伝道でよく使うテクニックは、証をした後、相手の祝福や必要、癒しのために手を置いて祈る事です。それを拒まない人は意外と大勢います。祈られた人の内の決して少なくない人は救いの祈りを告白しています。


■ 伝道の方法の種類

  1. 日常生活の中での証し

A) 職場や友人に対して: 身近な人に対しては、あなたが語る言葉以上にあなたの普段の生活や態度が大きな意味を持ちます。ある説教者はこういいました。「福音を語りなさい。もし必要であれば言葉を用いなさい。」すなわち、語る言葉以上にあなたの生活がメッセージとして大きな意味を持つのです。
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B) 家族への伝道: 家族に対する伝道は、職場や友人以上に語る言葉よりも態度が重要です。
妻が夫に伝道する場合、(第1ペテロ3:1)の「妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。」という言葉を心に留めておくべきです。また、夫にとって妻が心のオアシスでありことは重要です。
夫が妻に伝道する場合は、(エペソ5:25)にあるように妻を愛することは大切です。
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  1. オイコスの関係を通じて: 今日の社会は人との関係が希薄ですが、学校のクラブ、町内会、趣味の集まりという一定の束縛を持った団体においては仲間意識があり人間関係が築かれています。そこですぐに福音を分かち合えるとは限りませんが、あなたからにじみ出るキリストのよい価値を味わう機会となり、時にはアドバイスをしたり癒しの祈りができますし、いったん関係が築かれたら、ストレートに証しすることも可能でしょう。私達夫婦がしている「スペイン語クラス」もこれにあたります。

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  1. 伝道目的オイコス伝道: オイコスといっても福音を語ることを前提としていない場所では時間がかかりすぎる場合がありますが、キリスト教的価値観を持ったオイコスを自分で作れば。さらに効果的に福音を伝えることができます。 私達の教会では「スーパーキッズクラブ」がこれに当たります。このような集まりは、そこである程度キリスト教的価値観が語られる事は暗黙の了解にあり、そこに来ている人はみなその「暗黙の了解」を受け入れいているわけですから、福音を伝えやすいのです。

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4)路傍伝道
路傍伝道は大衆伝道と個人伝道に大別できます。
通りに出て行って声を張り上げて道行く人に福音を語る伝統的な大衆伝道スタイルがありますが今日ではあまり有効でないようです。スキット(小さい劇)や楽器で賛美を演奏するような組織的な伝道はまだ有効ですが、ただ見せるだけでなくそこにいる人に個人的に分かち合うことがなければそれほど効果は無いでしょう。
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5)個人伝道
知らない人に通りでいきなり話しかける方法です。きっかけさえつかめば、特に若い人をターゲットにした場合、びっくりするほど多くの人がイエスを信じます。日本の(潜在的)クリスチャン人口が6%であるという数字を実感させられます。
熱心に福音に耳を傾ける人を目の当たりにしたり、心を開いてイエスを救い主として受け入れる人を見る事は私達の霊的食物となり、あなたのクリスチャン生活に豊かさを与えます。
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その反面、人間関係を築いた上での伝道ではないので、たとえ涙を流しながらイエスを心に迎える祈りをした人がいても、その人が教会につながる確立はかなり低いです。
ですから、ただ、「教会に来る人の数が増えるように。」というような動機で路傍伝道したのでは失望するでしょう。でも、イエスの命令は「福音を伝えなさい。」であって「信じさせなさい」や「教会に人を来させなさい」でもありません。私たちはただすべき事をすればよいのです。
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6) メディア伝道: 
インターネットのYouTubeなどを用いれば、個人でも、驚くほど多くの人に福音のメッセージを伝えることができます。伝道範囲が広範囲で、教会成長に直結しにくそうですが、視聴者の60人の内1人は札幌に住んでいる人なのでしょう。
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私の願うことは全ての教会メンバーが多かれ少なかれバランスよく伝道活動をしていることを願っています。バランスよくという言葉の意味は、得意分野だけに閉じこもらないということです。