JP−A−A−9 中級編 Aグループ 旧約聖書概論 (第9) ヨセフ、仲介者。長子の権利、主の熱心
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聖書箇所(創世記37章〜47章)
聖書の中でもっとも波乱に満ちたヨセフの人生から多くの教訓を学ぶことができます。
A
■ 神の選びと召し
ヨセフの意味は「加える」です。11番目の息子でしたが長子の権利は彼に与えられました。(第1歴代誌5:2)
B
そのようなわけで、さまざまな意味で、ヨセフは特別な人でした。
しかし神が用いられる人というものは多くの場合試練を通らされますが、ヨセフの場合もそうでした。
C
■ 信仰だけでなく人格も必要
彼は人の気持ちを思いやることが苦手だったようで、神によって与えられた「彼が治めるものとなり、他の兄弟が彼を伏し拝む」というような啓示をうかつにも2度にわたって、無邪気にも家族に語ってしまい彼は、兄弟に恨まれてしまい、彼が父からえこひいきされていたことによる妬みもそれに拍車をかけました。そして、それらのことが原因で兄弟に裏切られエジプトに奴隷として売られてしまったのです。
D
■ 神は共におられる
彼は、大きな拒絶と落胆を通りましたが、その状態とは裏腹に、神は彼と共にいて彼を励まし、彼がすることは何でも栄えさせられました。ポティファルの家の奴隷のであったときもそうですし、濡れ衣で投獄されたときもそうでした。イザヤ書に書かれたイエスの別名のインマヌエル「神が共におられる」という言葉通りです。
E
■ 神の御業を見はじめかけた後の挫折
彼は8年ぐらい投獄された頃、囚人仲間であった献酌官長の夢を正確に解き明かしたことによって王に上訴するきっかけを得たかに見えました。しかし、献酌官長は恩を忘れて、2年もの間彼を放置したのです。
神の御業を見はじめた後の挫折はさらにダメージが大きいもので、これも大きな試練となりました。
F
詩篇105編19節の 「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。」という言葉は、どんなに大きなビジョンや計画が主から示されていたとしても試練を通ることを意味します。
G
■ 神が最終的な宣告を握っており人生大逆転を経験
パロが見た7年間の豊作と7年間の飢饉が来ると夢を解き明かしたことによって、神の奇しい計らいにより、彼はエジプトの総理大臣(王に次ぐ第二の地位)の地位を手に入れました。
彼は囚人から1日のうちに総理大臣になりました。そのときのパロの宣言はこうでした。
H
(創世記41:40-41) あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみなあなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」
I
■仲介者として治めるヨセフ
創世記41:41の王様の言葉の意味は、「エジプトの所有者は私であるが、あなたは全権大使として自由に治めなさい。」という意味です。この言葉を理解するために、(A-A-02)で学んだアダムが神によって地上を治めるためにすべての権威がゆだねられていた。という話を思い出してほしいです。
J
(創世記1章26節〜28節)の「神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。(中略)「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
K
■ 仲介者であり全てを治めるヨセフはイエスキリストの雛形
アダムの意味は「人」です。神が人を創造したときに、ご自身の全権大使として創造されました。
イエス様がご自身を「人の子」と表現された理由のひとつは、アダムに与えられた権威を思い起こさせるためであったかもしれません。
L
しかし、人が罪を犯したために、元々神が意図したような権威は人には残りませんでした。
しかしキリストが勝利したことによって、状況が一変しました。キリストの宣言はこのようなものです。
(マタイ28:18) イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
M
この宣言にあるようにキリストが敵に奪われたすべての権威を取り返してくださったのです。ですから、私たちは人としては無力であってもイエスキリストの名によって祈るときに、状況をつくり変え、悪霊の仕業や病の力を制する力を持つことができるのです。
N
■ 回復の神
その後、ヨセフの兄弟たちがエジプトに穀物を買いに来たことから再び話は展開していきます。
穀物を買いに来た兄弟たちはヨセフの前にひれ伏し、(創世記37:7)与えられていた啓示が成就しました。
O
過去の傷に触れたのか、ヨセフはすぐには兄弟たちに正体を明かさず、荒々しく語りました。この出来事によって全ての人が、これまで顔を背けてきた過去を思い起こし、動機が探られる機会となったのです。
P
荒々しく語るヨセフの心を溶かしたのはユダが語った犠牲の精神です。ユダは自分自身を犠牲としてベニヤミンと父の命を救ったのです。(創世記44:33-34)キリストがユダの家系であることは偶然ではないでしょう。
Q
この物語の中で、最も感動的なのは兄との和解です。自分達が奴隷として売ったはずのヨセフがエジプト(当時の最強国)の総理大臣となり目の前に立っているのを見て驚いている兄達に対してヨセフはこう語りました。
R
(創世記45:5) 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
S
この言葉はローマ8章28節の「神を愛する人々すなわち、神のご計画に従って召された人々の為には、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」という言葉を思い起こさせます。 ローマ10章11節の「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」という言葉の意味でもあります。
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■■ 主の熱心(創世記38章1節〜)
ユダが息子の嫁のタマルによって子どもをもうけ、それがキリストの家系につながる出来事は奇妙に思えます。
しかし、そこには御心から外れそうになっても神が修正を与えようとする主の熱心の表れなのです。
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ユダは一人民から離れてカナン人の女と結婚しました。その時点で神の計画に危機が訪れました。長男が主に殺されたのを見るなら、主が容認できない異教の習慣などの悪が入り込んでいたことが伺えます。
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それでも、次男を通じて家系を残すことを神は望まれていたでしょうが、彼が義務を果たそうとしないことから、彼をも裁かれました。彼が裁かれたのは精を流したからというよりは義務を果たさないという問題でした。
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このオナンの反逆をきっかけとして、また、三男のシェラも死ぬのではないかとユダが恐れて彼が成人した後も、タマルと関係を持たせませんでした。 そういった事柄を通じて、神はさらに良い計画を実行することにされました。それはカナン人の血が交わらない状態でユダ族の血統を残されることでした。
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そんな中、タマルは驚くべき行動に出ました。義理の父のユダと関係を持って子どもをもうけることにしたのです。(創世記38:14)律法が与えられるのはそれ以後の出来事なので、それを罪とはいえないでしょうが、それを見るときに私達は戸惑いを覚えます。
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しかし、そのように仕向けたのは主の計画によるのです。ユダが御心から離れてイスラエルの血統の中にカナン人の血を入れようとしたことに対して修正を加えたのです。それによって異教の習慣から守られたのです。
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カナン人であるユダの妻はラハブやルツとは異なり神を恐れる異邦人ではありませんでした。それでも、神は人の意思を尊重されるので、三男のシェラを通じて子孫ができることも容認されたでしょう。それでも、人の罪やおろかさなどによって機会が生じるなら、最も良いことをなされるために介入されることも事実なのです。