JP−A−A10 中級編 Aグループ 旧約聖書概論 (10) 出エジプト


聖書箇所(出エジプト記)
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旧約聖書の記述は雛形(象徴)であるという話をしてきましたが今回もいくつかの雛形が登場します。
文中にいくつもの聖書箇所の引用がありますのその箇所も合わせてご覧ください。
また、ポイントしか書いていませんので、出エジプト記、民数記全体を読んでください。
A
イスラエルの民はヨセフゆえにエジプトで尊敬され、増え広がっていたにもかかわらず、年月が過ぎるとともに彼らは奴隷の地位におとしめられてしまいました。とはいえ、実際にはエジプトの王パロが「彼らは数が多く、強い。」(1章9節)と言ったように。神の民のほうが優位にあったのです。
しかし、洗脳によって弱者だと思い込まされているのです。これは、今日の私たちにも起こりうることです。
B
イスラエルの民が増えているのを見たパロは恐れによって彼らに圧迫を加えるようになり、いつしか彼らを奴隷にしました。
C
これは今日の人類の状態をあらわしています。もともと神に愛され被造物の冠として作られた人間が奴隷状態にされてしまっているからです。(参考資料ローマ1:20〜23)また、パロの言葉にあるように「私達のほうが強い」はずなのに、多くの人が圧迫され奴隷のような生活をしているからです。
D
しかし、自分でまいた実を刈り取っているとはいえ、神はわれわれが苦しんだままにいることを望んでおられません。私たちの叫び声を聞かれ(3:7)、私たちに救いを与えてくださる方なのです。
E
この出エジプト記を通じて学ぶことは、神から離れ奴隷状態である人類が神に救われ解放されることを表しています。この書を通じて人類の救いの雛形を学ぶのです。パロをサタン、イスラエルの民をクリスチャンと読み替えて読んでみると分かりやすいでしょう。
F
つまり、エジプトはこの世の生活の象徴なのです。
そうであるなら、イスラエルの民がエジプトを懐かしんだことの意味もわかることでしょう。
G
(出エジプト16:3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。・・・・
H
この言葉は、エジプトを出た後に、荒野で困難に遭遇したときに、エジプトを懐かしんで民が語った言葉です。しかし、この言葉は真実ではなく幻想に過ぎません。エジプトでは奴隷だったのですから、肉やパンを満ち足りるまで食べていたはずはないからです。
I
このように、私たちも救われた後に、世を懐かしむときに、それがあたかもすばらしいらしいものであったかのような幻想を持ちます。しかし、それは真実ではありません。
J
参考:(第一コリント10:1-2) そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。10:2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、、、
K
この言葉を読めばわかるように、葦の海(紅海)を渡ることは洗礼を象徴しています。
彼らはエジプトを脱出しましたが、最後に奇跡によって海を渡る必要がありました。この水は洗礼を意味しています。
L
民を救い出すのに、モーセが選ばれましたがその誕生と成長の次第はまさに神の奇跡でした。
パロは新しく誕生するイスラエル人の男の子をすべて殺せと命令しました。今日の社会は男性が圧迫され、男の子が嫌われる風潮がありますが、それはサタンの滅ぼす力が働いているとも言えるでしょう。
M
そういった中、奇しき御業にって、モーセはパロの娘の子どもとして王の宮殿で育てられたのです。
しかも、姉のミリヤムの機転によりその乳母として実母のヨケベデ(出6:20)が彼を育てることになりました。これにより、彼はヘブライ語のアイデンティティーを維持することができたのです。
N
そのようなわけで、彼は40歳になったときに、虐げられているイスラエルの民のために衝動的でしたが立ち上がりました。(出2:14)
O
神に選ばれたモーセであっても、自分の力により頼んでいるうちは神は彼を用いることはできません。それゆえ、彼は40年間逃げるようにして荒野で生活しなければなりませんでした。
人生の荒野は私たちをへりくだらせます。モーセは雄弁(使徒7:22)だったにもかかわらず、口下手(出エジプト4:10)にまでなってしまったのです。
80歳の年齢に達し、身体的な力により頼むことができなくなってからはじめて神は彼を用いたのです。
このことは、神に用いられるには自分自身を砕きへりくだる必要があることを物語っています。
P

  1. 救いが近いときに苦しみも増す。

(出エジプト記5章19節にあるように。パロは人々が脱出しようとしているのを知るとより重い労役を課しました。同様に、クリスチャンも救われる前、やその直後に困難が増したりプレッシャーが増してしまう人がいます。しかしそれは問題ではなく、救いを妨げようとするサタンの力なのです。
Q

  1. 神の御力の表れ

パロは民を手放さなかったので神は10の災害(奇跡)によってパロを悩ませました。これは人々を救いに導く神の御手を表しています。
R
パロはかなり悩まされましたが、その頑固さはそのままサタンの頑固さの現れです。モーセがパロに「いつカエルを取り除こうか」と聞いた時に(出8:10)パロは「明日」といいました。本当は今すぐにでも取り除いてほしかったにもかかわらず、そのかたくなさがそう言わせたのです。
S
このことからわかることは、サタンは自分が負けそうでも、それをあらわさず平静を装います。
クリスチャンが祈りによってサタンを圧迫し勝利寸前であっても、敵は平静を装っているかもしれません。しかし、それを見て落胆してはいけません。もう勝利しているのだからです。
(21)

  1. 信仰、小羊の犠牲による救い。

最後の災害は全ての家の長男が死ぬというものでした。それから救われるには、子羊の血をヒソップの葉で家の入り口に塗らねばなりませんでした。(出エジプト記12:22)
この子羊の血はイエスキリストの血を象徴しています。イエスの血こそわれらの罪を赦し救いを与えるのです。またヒソップの葉は「信仰」を象徴します。救われるために必要なのはイエスの犠牲を信じて受け入れることなのです。
(22)
守られるために子羊の血を塗らねばならなかったのはそれはイスラエルの民も同様ですし、逆にエジプト人もそれをするなら救われたのです。これはイエスを信じるものは誰でも救われることを象徴しています。
(23)
死の御使いに長男を殺されたパロは失意の中、イスラエルの民をエジプトから追い出しました。(12:31)
(24)
主が心を動かしたので、この時に、エジプト人たちはイスラエル人に好意を与えるようになり、金銀の飾りを与えました。これは、私たちが霊的戦いに勝利した後、戦利品を勝ち取ることを象徴しています。そのような記述は聖書の中に何度も登場します。
(25)
(第2歴代誌20:25) ヨシャパテとその民が分捕りをしに行くと、その所に、武具、死体、高価な器具を数多く見つけたので、これを負いきれないほど、はぎ取って、自分のものとした。あまりにも多かったので、彼らはその分捕りに三日かかった。
(26)
エジプトから脱出し葦の海の岸辺まで来たときに、心をひるがえしたパロの軍勢が彼らに襲い掛かりました。そこで主が語ったのは「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」(出14:14)です。そのときに、出エジプトでもっとも大きな見せ場である海が割れる場面が起こりました。