JP−A−A11 中級編 Aグループ 旧約聖書概論 (11) 律法の授与
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聖書箇所:出エジプト記20章〜申命記28章
A
出エジプト記20章で十戒が与えられます。これは600以上あるといわれている律法の要約です。律法を守り行うことはイスラエルの民にとって神との契約を履行することなのです。その前提となる言葉はこれです。
B
(出エジプト記19:5 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。 19:6 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。・・・
C
この契約は「モーセ契約」と呼ばれており「アブラハム契約」の次に神が民と結んだものです。
先の学びでアブラハムと結んだ契約は「一方的な契約」であったことについて言及しました。では、どうしてここにきて、律法を守り行うことによって神の民となるという契約が必要なのでしょうか?
そのひとつの理由は、アブラハムの子孫以外に対しても救いと神の祝福を広げるためなのです。
D
アブラハムの契約の対象者はその子孫のみです。それは無条件の選びによるものですが、対象者がアブラハムの子孫だけであるなら、その子孫以外は除外されますし、4000年も経ってますからわずかながらでも血が混ざっている人は世界中に大勢いるでしょう。 血のつながりが選びの条件であるなら対象者もあいまいになってしまいます。そういった中で「契約」という概念は白黒をはっきりさせるものです。
E
第1段階:アブラハム契約:一方的な無条件の選び。(対象はごく限定的、あるいはその境目はあいまい。)
第2段階:モーセ契約:本人の選択による。(対象がはっきりしているが、誰もその要求を満たせない)
第3段階:キリスト契約:信じるすべての人に与えられる一方的な無条件の選び。
F
キリストを信じる契約とはアブラハム契約の「無条件の一方的な救いの契約」とモーセ契約の「律法の条件をまっとうするかどうかで白黒つけられる」という二つの相反する性質のハイブリッドです。これらは、「無条件と条件付」という二つの相反する性質のものですが(22)で説明するように「聖霊によって私たちの心に書き記される」(エレミヤ31:33)ことによって律法の要求が満たされることによってクリアされるのです。
G
イスラエルの民に対する神の変化、やり方の変化が起こる理由のひとつは、このような「福音をその他の人々にも広めるための変化」という側面があります。その他の代表的な出来事はバビロン捕囚以後、動物のいけにえをささげなくなったことなどです。それについては[A-19]の「礼拝様式の変化」という学びの中で見ます。
■H
律法は民がエジプトを脱出した後の過ぎ越しから50日目に与えられました。50はギリシャ語で「ペンテコステ」です。ペンテコステ(五旬節)(律法の授与を記念する日)に聖霊が注がれたのは偶然ではありません。
(50日目の根拠は(出エジプト12:6)(出エジプト19:1)(出エジプト19:16)
I
(使徒の働き2:1〜4) 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。・・・すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
J
聖霊が与えられることの意義はたくさんありますが、今回注目してほしい意味は「婚約のしるし」です。
K
(エペソ1:13 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
■L
律法と訳されている言葉はヘブライ語で「トーラー」で、その意味は「教え」です。律法と聞くと何か悪いイメージを持つ方もいますが、教えは良いものです。イエス様自身次のように語っています。
M
(マタイ5:18) まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
N
イエス様が批判していたのはトーラーではなく、それに人が付け加えた「口伝律法」と呼ばれるものです。新改訳聖書では「人間の言い伝え」(マタイ15:2)(マルコ7:5)(コロサイ2:8)などと訳されている言葉です。
O
それは、今日でもユダヤ人は乳製品と肉を一緒に食べないといったことです。根拠の御言葉は(出23:19)の「子やぎを、その母親の乳で煮てはならない。」です。万が一律法を犯さないように、子やぎを乳で煮ないようにし、それでも心配なので、肉と乳を同時に料理に入れないようにし、それでも心配なので、おなかの中で混ざらないように肉と乳製品を取らないようにしたのです。つまり人の考えで律法に律法を重ねたのです。
P
■どうして私たちは旧約の律法を文字通り守らなくても良いのか。
よく言われる言葉は、「キリストが律法を終わらせたので、私たちは律法を守らなくても良い。」というものです。その説の根拠よなった御言葉は(ローマ10:4)「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」です。
Q
「終わり」と訳されたギリシャ語のtelosの意味は「目的」「目標」です。映画の最後のThe Endという文字を見るときに、それはストーリーの「終わり」ですが、映画を作った「目的」が果たされたことを意味します。
ですから、新共同訳聖書の「キリストは律法の目標であります」という訳のほうがまだましでしょう。
R
私たちが旧約聖書の律法を文字通り守らなくても良い理由は4つあります。
(1)旧約の律法はイスラエルの民が神との契約のためであって異邦人のためのものではないから。
S
(エペソ 2:12) そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
(21)
事実、使徒たちは、異邦人に律法の重荷を負わせないことに決めました。(使徒15:20)で最低限の3つの事柄(血、絞め殺したもの、不品行)だけは残しましたが、その理由は「モーセの律法が安息日ごとに読まれているので」(15:21)異邦人とユダヤ人のスタンダードがあまりにも違いすぎると摩擦を生じさせるからでした。
(22)
(2)律法はわれわれの内に書き記されているので
私達の内に朽ちることない御言葉の種(1ペテロ1:23)が植えられました。それは私達をキリストの身丈(エペソ4:13)にまで私たちを成長させるものです。ただ、御言葉は種なのでその成長には時間がかかります。
私達の地上での生活はすべてが途上なので、不完全であることが許容されるのです。
(24)
(エレミヤ31:33) 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。・・・わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
(23)
その途上の生活のために、私達の心に律法が書き記されました。それはまるで、辞書機能をパソコンにインストールするようなものです。辞書の内容はほとんど知りませんが、必要なときにいつでも取り出せるのです。
 (25)
(3)異邦人も律法の本質を行う必要がある。
(ローマ2:14)律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。
(26)
この言葉にあるように律法を持たなくてもその本質を行う必要があるのです。そして、律法の要約はこれです。
(27)
(ローマ13:9)「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。
(28)
律法の本質として、われわれがどのように生きるべきかについて、新約聖書でさまざまな解説がされていますがそれは「キリストの律法」(1コリ9:21)(ガラテア6:2)「自由の律法」(ヤコブ1:25)とよばれるものです。
(29)
(4)罪の問題はすべて解決した。
モーセ律法であれ、キリストの律法であれ、私達は完全に行うことはできません。つまり私達はみな罪人です。しかし、その罪の問題はすべてキリストの十字架によって解決されているのです。