JP−A−A15  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (15) 士師記
2017/9/181/2 ● ■・■


士師記                  聖書箇所: 士師記全体
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士師は別名「さばきつかさ」です。その時に応じて神が立てたカリスマ的な指導者です。王様との違いは王権は相続されるがさばきつかさは一代限りです。
A
新改訳聖書の巻末の地図を見るとユダ族とシメオン族が同じ土地になっているのがわかります。(1:3)にあるように、約束の地を勝ち取るために2部族が協力したからです。
B
ユダの意味は「主をたたえる」であり、シメオンの意味は「聞く」です。戦いの為に主が「ユダが最初に上っていかなくてはならない」というのは(2歴代誌20:21)にあるように賛美が戦いの先頭であるべきだからなのでしょう。そして戦略を神から「聞く」(1サム23:2)のです。
C
士師記1章に多く出てくる言葉は「追い払わなかった」「占領しなかった」(1:21) (1:27) (1:32)です。
それはすなわち、神によって与えられた祝福を受け取らず、かえって妥協の中にあったことを意味します。
D
当時のイスラエルの大半は敵の影響下にあり、民は恐れて生活してました。サウルの時代(第1サムエル記13:22)ですらイスラエル人が武器を持つことがペリシテ人によって禁じられていた事に驚かされます。
E
士師記のパターンは「@民が神から離れる。A敵が強くなる。B民が圧迫され主を呼び求める。C神が士師を遣わし民を解放する。」このようなパターンをぐるぐる繰り返しているのです。
F
民が圧迫されているときに神はカンフル剤のように時々士師を立てて民を解放しました。士師の出現の頻度は時によってことなりますが、時には一人の士師が民を解放したのち長ければ40年ぐらい安住の期間があったりします。つまり、教訓を忘れた世代が1世代分すっぽり抜けてしまうということです。
このことは信仰継承が重要であることを思わされます。
G
この士師記に起こっている出来事は、神によって救われたにもかかわらず、妥協した生活をしていることによって、この世やサタンの圧迫の下にあるクリスチャン生活を象徴しているといえるでしょう。
H
士師は神によって立てられた存在ですが、基本的には預言者ではありません。神によって立てられた民の解放者です。中にはデボラ(4:4)のように預言者もいますが、区別するべきです。当然、祭司といった宗教的ない指導者とも異なります。
I
士師記に12人の士師が登場します。その中で代表的なギデオンについて解説いたします。
彼も元は普通の人であり、神によって力を受けて立ち上がった人たちです。
J
(6:11)ギデオンは酒ぶねの中で麦の穂を打っておりました(脱穀していた)。これはミデアン人を恐れて隠れて作業していたということです。敵に見つかると、せっかくの収穫が奪われてしまうからです。
K
彼が神からの召しを受けたのは、恐れと落胆のさなかだったということです。
L
彼は主の声を聞いても、(6:12)「勇士よ」という呼びかけに力を受けたわけでなく、かえって、それが本当だったら、どうしてそうなったのですか?と疑いを増幅させる言葉にしか聞こえなかったのです。
M
(6:14)「あなたのその力で行き民を解放しなさい」という言葉は、自分の能力で行くという意味ではありません。(6:16) 「わたしはあなたといっしょにいる。」という神の約束がその言葉の前提となります。
N
偶像を破壊する
主は働きの手始めとしてギデオンに偶像を破壊するよう命じました。これは理にかなっていることです。なぜなら偶像があるなら、それは悪霊との契約ですから、神の力が働くことを妨げるからです。
O
「神は試練の中で脱出の道を備える(1コリント10:13)」というよく引用される約束は、それは条件付の約束です。一節後を見るなら、「ですから・・偶像礼拝を避けなさい。」(1コリント10:14)と書いてあります。「ですから」という言葉があるのですから、その約束は偶像を捨てるという条件付なのです。
P
偶像を取り除いた結果は明らかでした。ギデオンは父にとがめられるのを恐れていましたが、不思議なことに父はもはや偶像の神の味方をせず息子を守りました。また、民もそれ以上追及しませんでした。
Q
戦いのために民を招集すると3万2千人が集まりました。ギデオンが無名の人であったことを考えるなら超自然的な力が働いていたことがわかります。
R
しかし、人が自分の力で勝利したと勘違いしないように、神は兵士を減らしました。
今日でも主はそのようなことをさせます。自分たちの数が少ないということで萎縮してはなりません。
S
「恐れている人は帰れ」という神の言葉によって2万2千人が帰りました。三分の一以上の人が恐れていたということです。おそらく彼らは単にムーブメントに乗っかっていただけの人だったのでしょう。
(21)
(7:4)で神はユニークな方法(手で水をすくって飲む人を選んだ)で、精鋭部隊としての戦士を選抜されました。その選抜基準は、「片手に武器を持ったまま、水を飲んだ人」すなわち「警戒を怠らない姿勢の人」だったのでしょう。
(22)
民に士気を与えるために神はミデアンの陣営にスパイを送らせました。そこで見た光景は海辺の砂のように多いミデアンの軍勢(7:12)ですが、ギデオンが聴いたのは「敵が恐れている」という言葉でした。
(23)
このことを私たちは心にとめておく必要があります。敵は私たちを恐れているのです。どれい状態であったイスラエルの民をエジプトの王は恐れていたということを思い出してください。
敵の数が多くても神は私たちに勝利を与えてくださるのです。
(24)
ギデオンの戦略は特殊です。300人の精鋭の全員に角笛、からのつぼを持たせ、つぼの中にたいまつを入れました。角笛は賛美あるいは宣言、からのつぼは我々、たいまつは聖霊の力を意味します。
(25)
戦いの中で彼らはからつぼを砕きました。そのときにたいまつの炎が現れました。
これは、我々自身を砕くときに(7:19)聖霊の力が内側から現れることをあらわしています。
それは次の言葉にも表れています。
(26)
(第2コリント4:6-7) 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
(27)
この戦いにおいては、その結果敵同士で同士討ちが起こりました。(7:22)。敵が混乱するなら、どれだけ敵の数が多くても私たちは戦いに勝つことができるのです。
(28)
敵の首長オレブとゼエブの処刑
オレブ(6159. Oreb)という名は「午後、夕方、夜」を意味するエレブ(6153. ereb 134回)が語源です。
そして、ゼエブ(2062. Zeeb)の名の意味は「狼」です。 
つまり、イスラエルの敵は夜にまぎれてやってくる食い尽くすものでした。それが倒されたのです。
(29)
イスラエルは勝利したときであっても、多くの混乱を含んでおりました。「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(士師記21:25)という言葉は士師記の最後の言葉です。2度登場する言葉ですが、士師記の時代の性質を表している言葉です。
(30)
ヨシュアによって約束の地に入ったものの、その後、民は徐々に神様から離れてしまいました。そして、問題が増えてきたのです。それは、それぞれが自分の目に正しいことを行ってきたことの結果といえます。