JP−A−A16  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (16)ルツ記
2019/01/151/2 ● ■・■


ルツ記 聖書箇所:ルツ記全体
@
ルツ記は短い物語なので一気に読めますが、この中に多くの聖書と神の御心の奥義が隠されています。
A
聖書の人名には意味がありますが、ルツ記においてもその意味を知ることが理解するための近道です。
B
人名、地名                     言葉の意味                                   何を象徴しているか
ナオミ             (????)       こころよい、喜び                                         
エリメレク        (??????)    神は王(エリ+メルキゼデク)      
マフロン          (?????)      病弱
キルヨン          (?????)       消えてなくなる
オルパ            (????)     首の後ろ、背を向けて離れる           生ぬるいクリスチャン
ルツ               (???)        愛された                                       神を愛するクリスチャン
ボアズ            (???)        彼の内には力がある                     あがない主
ベツレヘム      (??? ???) パンの家                                      神の国

C
ベツレヘムにたどり着いたナオミは自分のことをナオミ(快い)と呼ばないでマラ(苦しむ)と呼ぶように言いました。その理由は全能者の罰を受けたから(ルツ1:21)としています。
このことは、潜在的にナオミが責めを負って生きていたことを意味します。
D
その責めの原因は、飢饉のおりに主を信頼せず、約束の地を捨てて、モアブ(異邦の地)に逃げたことからくるのでしょう。イスラエル人にとって、土地を守ることは非常に大きな意味があるからです。
E
信仰を守り通すのではなく安易にモアブに移り住んだことによる最大の損失は子供たちがこの世の象徴であるモアブの女と結婚したことのように見えたことでしょう。
F
傍から見たら、神の呪いと裁きを受けたとしか思えないような状態でした。しかし、神は、回復を与えます。いや、回復どころか大逆転の人生、ナオミはキリストの直系の先祖の一人に数えられたのです。
G
ですから、この物語は過去の失敗に責めを感じている全ての人の立て上げと回復の為のものでもあります。
H
ナオミが夫と息子を失い、二人の嫁とともに故郷に帰るところから物語は始まります。
(ルツ1:12-13) 「帰りなさい。娘たち。・・たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。」
この不思議な言葉の意味は、「レビラート婚」というイスラエル人の習慣で、夫が死んだ場合弟がその妻との間に子供をもうけて(申命記25:5)兄の名を受け継がせることから来ています。
J
ナオミは嫁達に自分の家に帰るように勧めます。彼らはモアブ人なのですから、それはこの世と、この世の神(偶像)の元に帰ることを象徴しています。最初は嫁は二人ともついて行くと言うのですが、弟嫁はついに父の家に帰ってしまいました。これは困難にあったときにまことの神を捨ててしまうクリスチャンを象徴しています。
M
ルツは (1:17) 「あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」このように言いました。これは死に至るまで忠実であるクリスチャンを表しています。

黙示録2:10) ・・・死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。

ただ「もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら・・」という言葉は正確な翻訳ではありません。なぜなら、死による離別は神様の領域であり、私達の忠実さとは関係ないからです。
N
新共同訳では「死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら」と訳されています。こちらのほうが正確な翻訳でしょう。
O
これは、結婚の誓約に似た宣言です。究極の愛の言葉として「死んでも一緒」と言うドラマのセリフがありますが、それは聖書的ではありません。死ぬことによって誓いからとかれるからです。
P
いずれにしても、ルツはこの預言的な結婚の宣言によって将来与えられる夫と結ばれ始めたのです。
Q
ですから、私たちの日常的に語る言葉は重要です。神が言葉の宣言によってこの世界を作られたように、私たちの語る言葉を用いられるからです。
R
神の摂理によりルツはボアズという「買戻しの権利のある親類」の一人の畑に導かれます。「買戻しの権利のある親類」とは長ったらしいことばですがヘブライ語では「ゴエル」という一言です。その別の意味は「あがない者」「あがない」です。このことからもボアズがキリストの雛形であることがわかります。
S
ルツは献身的に働きました(2:7)。それはよい証を持っていたということです。
また、謙虚な態度でした。落ち穂を拾うことはやもめの権利でした(レビ19:20)ので、ですから、ルツは無言で畑に入ることができたのですが、彼女はきちっとあいさつをしておりました(2:7)。
(21)
年月を経て戻ったナオミは当時ちょっとした有名人でした(1:19)ですから、ボアズもルツの事を聞いていたのでしょう。ルツがしゅうとめに対する献身を聞いていたのです(2:11)。
(22)
3章で、ナオミのアドバイスにしたがってルツはボアズの寝床を訪れます。普通に読めは夜這い(よばい)をしたのです。私はよくわかりませんが、当時のイスラエルの習慣ではぎりぎりセーフだったのでしょう。
(23)
ゴエルが実行される方法にはいくつかあります。単に畑を買い戻すだけの場合もありますが、この場合、ナオミの死んだ息子嫁と結婚するという形でなされました。
もっとも近いゴエルはボアズではなかったのですが、当人は、相続地を拡張するチャンスであったにもかかわらず、ルツをあがなうことを拒みました。それは(申23:3)にあるように「モアブ人は十代目の子孫であっても主の集会に加われない呪われた存在だから、逆に財産を損なうように感じたからであり、それは当時の感覚として十分理解できる反応でした。

しかしボアズはあえてルツをあがないました。それは自ら呪われたものとなってくださったキリストを象徴しています。
(24)
近所の人たちは「ナオミに男の子が生まれた」といい主をたたえました。この子はエリメレクの土地を継ぐ子供だからです。

(4:16)に「ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。」とあります。
(ルツ4:16)この「養う」という単語の元の言葉はアマン(539. aman)です。聖書に108回登場し、多くの場合「信じる」「忠実」という意味です。
オベデとなずけられたこの子供の存在は、ナオミの信仰が実態として現れたものといえるでしょう。
(26)
ボアズの名前の意味は「彼のうちに力がある」です。ボアズはすべての物を持っていましたし、良い働きをしていました。しかし「ルツを得るまでは主が召していた役割を果たすことができなかった」のです。
(27)
ボアズはおそらくある程度の年齢だったと思います(3:10)。彼は以前結婚しており妻を失ったのかなどという情報は一切わかりませんが、神のタイミング、彼の内に秘められた力が現されるのを待っていたのでしょう。
(28)
逆に言うなら、何も持っていないように見えるルツであっても、正しく配置されるときに隠された大きな力を引き出す起爆剤となりうるのです。

また、ボアズという名はヤキンと共に神殿の入り口の2大柱の一つの名前です。