JP−A−A19  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (19) ダビデ@(第1サムエル)
17/09/221/2 ● ■・■

聖書箇所:第1サムエル16章〜
A
サウル王が失敗した後、神はエッサイの子どもの中から王を立てます。現地に赴き、長男のエリアブに目を留めました。しかし、神は「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(第1サムエル16:7)と語られました。
B
■ダビデの選び
サムエルの指名を受けるために7人のエッサイの息子達が呼ばれましたが、彼さげすまれておりその中に含まれていませんでした。
結果的に、ダビデは兄弟のの真ん中でサムエルに油注がれ将来の王として任命されたのです。
 C
そのような特別な選びはダビデだけのことでしょうか?いえ、全ての人が選ばれているのです。
確かに今日でも神が特別な人を選ぶという側面はありますが、「すべての肉なるものに神の霊を注ぐ」といわれている今日において、すべての人は何らかの形で選ばれ、召しが与えられ、油注ぎがあるのです。
D
むしろ、今日の問題は、選びではなく「神への応答」です。マタイ22章14節の「招待される者は多いが選ばれる者は少ない。」という言葉にあるように、主から招きを受けてもそれに応答しない人が多いのです。そうであるなら、誰かが用いられていたとしても、もうらやむ事はありません。ただ主に応答するだけなのです。
E
■ゴリヤテとの対決(第1サムエル17章)
ダビデの油注ぎを誰もが見るようになったのは、ゴリアテを倒したときです。ダビデの勝利の秘訣は、「万軍の主」に信頼したことでした。
F
彼はサウル(長身であった)の鎧を着せられ、剣を持たされて戦いに出させられるところでしたが、それはできませんでした。このことは、他人のやり方をまねしてもうまくいかないことを物語っています。
彼の戦法は使い慣れた投石器を使うことです。彼はそれで彼を倒し剣でとどめをさしました。
G
そんな彼ですが、後に大きく強められました。(サウルの剣よりはるかに大きい)ゴリアテの剣を提供されたときに物怖じせず「それは何よりです。私に下さい。(21:9)」と言って、自由に扱えるほどになったのです。
H
(詩篇18:34) 戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。
I
ゴリヤテをこの出来事は今日の霊的戦いの雛形です。ダビデがゴリヤテを倒したときに、形勢が逆転し、イスラエルの軍勢が一気に攻め上ったように、キリストが十字架の死と復活によってサタンの頭を踏み砕いたと後に、教会がこの地を勝ち取るために攻め上るのです。
J
■追われるダビデ
ダビデの活躍に嫉妬したサウル王は次第に義理の息子でもあるダビデに敵対心をもつようになりました。ダビデに対する懐疑心が扉となってサウルに悪霊が臨むようになりました。
私達が、正しい態度でいる必要があるのは、サタンに対して扉を開かないようにするためなのです。
K
■言われたこと以上のことをするダビデ
サウル王はダビデを危険な目に合わせようとしてペリシテ人100人の命をダビデに求めましたが、ダビデはその倍の数を倒しました。
これはマタイ5:41の「1ミリオンを強いるものには2ミリオン行きなさい」という言葉に通じます。
L
その後、サウルはますますダビデを恐れ彼の命を狙うようになり、ダビデは逃亡生活を余儀なくされます。
M
●権威を尊ぶ
ダビデの特徴的なへりくだりは「立てられた権威を尊んだ」ことです。誤解によって何度もサウル王から命を狙われましたが、彼は復讐することはせず(1サムエル24:6、26:9)最後まで王を王として尊びました。それゆえ神は彼を高く上げ、用いることができたのです。
N
私達の人生でもこのような試練がやってきます。意図的な迫害はもとより、たとえあなたに対して善意を持っている人が何らかの理由や原因であなたが気に入らない行動をとるかもしれません。そのときにあなたが権威者に対してどのように接したかがあなたの今後の行き先を決めるのです。
O
●キリストの雛形
ダビデはキリストの雛形として聖書に描かれています。キリストは「来るべき救い主」という期待をこめて「ダビデの子」と呼ばれました。なぜならダビデの子孫からメシアが現れことが聖書の約束だからです。
P
(第2サムエル7:12) あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。 7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
Q
マルコ10章47〜48節で民衆はイエスを単に「ナザレ出身のイエス」と呼んでいましたが、盲人のバルテマイは「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び続け癒しを受け取りました。メシアに対する信仰が彼を癒したのです。
R
ダビデは特別に神に選ばれた器でしたが、彼の人生はある一定の時期まで非常にへりくだらされる人生でした。兄弟全員が預言者サムエルに呼ばれた時にも、彼は、兄たちの羊を押し付けられていました。彼は父エッサイの姦淫によって生まれた子どもではないかと考える神学者もいます。(根拠:詩篇51:5)
S
さまざまな不遇の中にあっても、彼は、主を賛美し、主を信頼することを学びました。彼にとっての霊的訓練の場は羊を飼っているときです。詩篇の多くはダビデの詩ですが、最も有名な詩篇23編は羊飼いとしての彼の経験から、主のすばらしさをたたえたものです。
(21)
王としての油注ぎを受けた後も思い上がることなく以前と同じように羊を飼っていました。(第1サムエル16:19)それは、ソロモンの次の王のヤロブアムとはまったく異なる態度でした。(A-A-27ソロモン)
(22)
ヤロブアムも同様に王の子ではなく、王位継承権を持っていなかった人でしたが、神の選びによって北イスラエルの王に任命されました。(第1列王記11:29~31)彼とダビデとの違いは、(第1列王記11:37)に「自分の望むとおりに」という言葉にあるように、それ以前から王になりたいという野望を持っていたことです。
(23)
人は誰でも、どのような願いを持つのも自由ですが、血統を持たない人が王になりたいと願うことは、反逆を意味します。そのような野望であっても、その願いを神は用いたのですが、御心であったとしても、それによって自分を義(正しい)とすることはできません。
ソロモンの失敗により王に任命されるのですから、その事を謙虚に受け止め正しい態度を持つべきでした。
(24)
(第1列王記11:40)に「ソロモンはヤロブアムを殺そうとした。」とあることから、おそらく彼は、王に対して反抗的な態度をとるようになったのでしょう。それはダビデとはまったく異なる態度でした。
ダビデは預言と油注ぎを受けた後、サウル王に仕えるようになりました。人間的に言うなら、彼は預言どおりステップアップし王座に近づいたわけですが、彼の態度は変わりませんでした。
(25)
これこそ、神が私たちに求めている謙虚な態度です。誰かから「預言」を受けたり、直接神から「召しや約束」を受けることがあるかもしれません。だからといってすぐに実現するわけではなく、へりくだり、忠実さが試される期間が必要なのです。
(26)
ダビデはサムエルから油注ぎを受け、王に任命されましたが、だからといってすぐに王になれたわけではなく、そのつど段階がありました。@隠れたところでの任命(16:13) Aへりくだった普通の生活 B王宮に出入りする生活(動機が試される期間)(1)サムエル15:21) Cユダの王(責任を任された試験の段階)(2サムエル2:11) Dイスラエル全体の王となる(2サムエル5:3)