JP−A−A−21  中級編 旧約聖書概論 Aグループ(第21) 礼拝様式の変遷とダビデの天幕礼拝
17/12/21−1/2  ● ■・■

聖書箇所:(申命記12章)(ネヘミヤ8章)(第2サムエル6章)
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同じ旧約聖書を土台にしているとはいえ、バビロン捕囚以前の古代イスラエルと今日のキリスト教とでは礼拝の様子がぜんぜん違います。
レビ記を見ればわかりますが、旧約聖書の礼拝方法はいけにえをささげるものであり、その様子は屠殺場さながらでした。また、贖いのふたは血まみれです。(レビ16:15)(ヘブル9:7)(ヘブル9:19)
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もちろん今日私たちは、そのいけにえとは「キリストの犠牲の雛形である」と理解しているので、それが変だとは思わずむしろキリストの犠牲に対する感謝の念が沸いてくるものです。
そのようなわけで、当時とキリスト以後では礼拝方法が変わっていることについては理解はできるのですが、その変わりようはかなり大きいですし、当時の人にしてみたらいきなり変えられても混乱が生じます。

もしユダヤ教のいけにえ礼拝が今日まで続いていたとしたら、たとえユダヤ人が救われてもキリスト教式の礼拝にはなじめないことでしょう。
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それゆえ、神様は、まったく異なる礼拝システムの移行の橋渡しとして2つの段階を神は備えました。それは次のようなものです。
(1)会堂(シナゴーグ)において御言葉中心の礼拝。
(2)ダビデの天幕礼拝に見られる賛美中心の礼拝
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■会堂での礼拝
紀元前587年にエルサレムが陥落しイスラエル人の大半がバビロニアに捕囚として連れて行かたり、また各地に散らされてしまいました。
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それまでの彼らの礼拝はエルサレムの神殿におけるいけにえが中心だったので、勝手な場所でいけにえをささげるわけにもいかず困っていました(申命記12:13-14)。そこで生み出されたのが、御言葉を中心として各地のシナゴーグ(会堂)で集まる礼拝スタイルです。
それは、今日も世界中のユダヤ教の会堂行なわれているものですが、それはこの時代に確立されたのです。
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バビロン捕囚の地から、エズラ、ネヘミヤの功績により民が帰還した後、(ネヘミヤ8:8)に見られるように、御言葉に立ち返るリバイバルが起こり、それによって民の信仰が建て上げられました。
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この動きによる大きな変化はレビ人以外の人が礼拝を司るようになったことです。神殿中心の祭儀ではレビ人以外はそれにたずさわることはできませんでした。しかし、御言葉を語る事は全ての人に許されているのです。
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そういった中で、御言葉を熱心に学ぶグループが生まれました。それがパリサイ人です。私たちが聖書を読むときにパリサイ人は悪役として登場しますが彼らは今日で言えば正統派ユダヤ教徒です。彼らは、律法学者と並んで、この御言葉に立ち返るリバイバルから生まれたグループなのです。
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聖書によると神の言葉「聖書の言葉」は霊的な食物であり、キリストそのものです。そして、御言葉の教えを行なうときに、堅固な人生が建て上げられるのです。
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(マタイ4:4)(前略)『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』
(ヨハネ1:1) 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
(マタイ7:24) だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を                   建てた賢い人に比べることができます。
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■契約の箱を運び込むダビデ (A-A-20-ダビデ2)で詳しく解説
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■ダビデの天幕礼拝
ダビデが成し遂げた大きな功績は今日私達が知っている「賛美を用いた礼拝のシステム」を立て上げたことです。契約の箱を外からその姿が見える程簡素な天幕の下に置き、そこで賛美をいけにえとしてささげていました。これは「ダビデの幕屋」(正確にはダビデの天幕)と呼ばれています。
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それは次のようなものです。
@ダビデの町(今日の神殿の丘のすぐ南)という王の住まいがあるところに箱を運びこんだ。
A簡素な天幕の中にあり契約の箱は外から見える。
B賛美のいけにえを捧げる。(多くの楽器と聖歌隊の賛美が24時間絶え間なく捧げられた。)
C誰でもその礼拝に参加できる。(音は野外で響き渡ったゆえに)=異邦人も礼拝に参加できる。
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これは当時では画期的なことでした。通常契約の箱はモーセの幕屋の中に厳重に入れられ、それがある至聖所には年に一回大祭司だけが入ることが出来るほどに畏れおおいものだったからです。
彼がただ、気まぐれや好奇心だけでそれをしたとは思いません。彼がそうした理由はおそらく以下のようなものだったのでしょう。
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1)当時、幕屋はギブオン(エルサレムの北西9.6kmに位置する)の高きところにあったのでそこに運び込むと、ダビデは主の臨在の前に常にいることが難しくなってしまうので。
(参考)(第1歴代誌21:29) モーセが荒野で造った主の幕屋と全焼のいけにえの祭壇は、その時、ギブオンの高き所にあった。かれているとおりに、全焼のいけにえの壇上で、主にささげさせた。
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2)すぐに神殿を建てるつもりでこれは(第2サムエル7:2)一時的なことであると考えていた。
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けれども、すぐにでも神殿を建てたいという願いは聞き届けられませんでした。その理由として「ダビデが多くの血を流したからである。」(第1歴代誌22:8)と聖書に書かれています。神殿を建てる働きは彼の息子のソロモンにゆだねられました。
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■画期的な礼拝
1)賛美による礼拝
ダビデの天幕でもいけにえは捧げられましたが(第2サムエル6:17)その中心は賛美でした。そして、(第1歴代誌24章〜25章の記述から推測して)賛美チームが24時間交代で奉仕していたといわれています。
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確かに賛美がいけにえであると聖書にしるされています。
(ヘブル13:15) ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
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2)異邦人の礼拝参加
それまでの礼拝の場所であるモーセの幕屋には異邦人が関わることは許されませんでした。しかし、ここでは、契約の箱は外部から見え、音楽も遠くまで響くので・・つまり誰でも礼拝に参加できたのです。
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賛美の音は幕屋の外にまで鳴り響きました。したがって異邦人も神の臨在の中に入ることができたのです。
それはまた、「ダビデの幕屋が立て直されるときに異邦人もまた主のものとされる」というような(ことが書かれた)御言葉の成就のためでもあります。
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(使徒15:16〜17)『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。 15:17 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。
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ここでの礼拝は、今日のような、福音が世界に広がることの予兆でもあったのです。
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このような礼拝をするように神がダビデに指示したわけではありません。これまで書いたようなさまざまな理由によってダビデはそれをしたのですが、神もまたそれを容認しました。
それは来るべき礼拝の型を啓示によってダビデがドンぴしゃりで当てていたからでした。