JP−A−A24 中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (24) 祈り
 2018/1/281/2 ● ■・■

祈りについては初級の学びでも教えてきました。(@-A-06-祈り、@-F-03-とりなし、(@-D-02聖霊と聖霊のバプテスマ)、@-D-04-デボーション)ここではさらに別の角度から学んでいきたいと思います。
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■祈りの規模と種類について
@ 一人での祈り
詩編の中に多くの祈りの言葉が出てきますが、状況からして一人で神に向かっていたことからわかるように、それは祈りの基本です。人目を気にせず、一人で神と親しい関係の中で神に訴え、神から語りかけを受け取れることは祈りの大きな醍醐味でしょう。
A
★根拠の御言葉(マタイ6:6)に書かれた「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」とはそのような祈りです。
B
(ルカ6:12) このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。
C
イエス様を群集だけでなく弟子たちからも離れて一人で山に登り祈られました。神の子ですら父なる神と親しい交わりをするために時間と労力をさいたのであるなら、私達はなおさらです。
D
A 複数〜大勢での祈り
複数での祈りでは基本的には一人での祈りのメリットを受け継いでいますが、さらなるメリットは互いに合意して祈れることです。誰かが祈った後で「アーメン」といいますが、その意味は「真実です」「その通りです」という意味で、合意していることを表します。
E
★根拠の御言葉(マタイ18:19)に「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」とあるように、合意して祈る祈りは特に「とりなしの祈り」において力を表します。
F
B 祈りの家としての祈り
これは基本的には祈りに専念できる祈りに特化した場所での祈りを指しています。そのような場所では、もちろん複数の人での祈り、大勢での祈り、すなわち課題を挙げてとりなしの祈りをするのに適した場所です。
G
それについては、上記に書きましたので、ここでは特に、神との深い交わりなどについて書きます。
ですから、そのような本質については個人の祈りでも個人宅であっても適応できます。
H
★(イザヤ56:7) わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。
I
この種の祈りは、山に登ることにたとえられています。山に登るには時間がかかります。ある程度の長い時間と、継続が必要です。「全焼のいけにえ」とあるように自分自身を捧げていく祈りの生活です。
J
★(イザヤ25:6) 万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。 25:7 この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、
K
特徴1)楽しい
この御言葉で宴会という言葉に表されているように、主と深く交わることは、何にも勝る喜びです。
主と深い交わりをすることができ、大きな励ましを受け取ります。
L
特徴2)主が力をあらわされる
10節までの御言葉に「万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除く」とあるように、それは悪霊の束縛から人々を解放し、救いをもたらすとりなしの祈りでもあります。
M
■祈りの家としての祈りの方法
長時間の祈り:
現代社会におけるもっともおおきないけにえの一つは時間をささげることでしょう。少なくとも1時間、そして継続して続けていくなら大きな変化を見ることでしょう。そのために、以下の方法を用いるとよいです。
N
主を呼び求める
旧約聖書で祈りと訳されている言葉の中のひとつであるathar(6279・20回)の意味は「呼ぶ」です。祈りとは主を呼び求めることでもあるでです。静かな礼拝も良いものですが、それは個人宅ででもすることができます。祈り会においては声を上げて主を呼び求めましょう。
別に主の名を叫ぶ必要はありません。叫び声をあげること、異言で声を上げることも含まれます。
O
異言: 
「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。(第1コリント14:2)」と書かれているように、異言は神と直接会話するツールです。
P
長時間祈る為には異言で祈ることが有効です。(それについての解説は下にあります)
たとえ、祈りに心が向いていなくても異言で祈り始めているうちに整えられていきます。
Q
賛美: 賛美は天の窓を開きます。主は賛美の中に住むからです。(詩編22編3節)
R
礼拝: 礼拝は霊を持つ人間だけができる行為です。動物も神を賛美しますが、それらが礼拝するという記述はありません。賛美の要素を引きついでいますが、もうひとつの大きな要素は自分自身をささげていくことです。
S
御言葉を用いた祈り: 
御言葉から約束を引き出し、それを宣言することも大きな力です。
                            参考:ダニエルはダニエル9章2節でエレミヤ書の約束を見つけ、それに従い祈りました。
(21)
宣言と宣告:神が宣言によってこの世界を創造されましたが、神の似姿につくられた私たちの言葉にも権威があります。天の窓が開かれるよう、悪しき力が縛られるように宣言しましょう。
(22)
宣告の祈りはお願いの祈りではありません。
(23)
(ノート)異言での祈りについての解説
異言の祈りは、神に直結した祈りです。人は理解できませんし、サタンも理解できません。しかし、異言で祈るときに、天の窓が開かれ、神の力が働かれます。
(24)
これは聖霊のバプテスマを受けた人が祈ることができる霊による祈りです。使徒の働き2章には具体的な外国語としての異言について記録されていますが、今日99.99%は人には理解できない異言です。
※ 聖霊のバプテスマの受け方は(@-D-02聖霊と聖霊のバプテスマ)で解説。
(25)
異言の中には解き明かすことによって預言となる異言もあります。パウロ自身「異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。(1コリント14:13)」と語っています。
(26)
そうであっても、パウロが語る異言の大部分は人が理解できず、また解き明かせず神様とだけ交信する異言であったようです。その根拠は次の御言葉です。
(27)
(1コリント14:18-19) ...教会では、異言で一万語話すよりは...私の知性を用いて五つのことばを話したい
 (1コリント14:23) ...みなが異言を話すとしたら、...彼らは、あなたがたを気違いだと言わないでしょうか。