JP−A−A28  中級編 旧約聖書概論 Aグループ  (28 南ユダ王国
2018/01/29 1/2  ● ■・■

聖書箇所: 第1列王記15章〜、第2列王記23章 ・ 第2歴代誌15章〜20章

サムエル記@A、列王記@Aと4つの書がありますが、元々はひとつの書でした。それがサムエル記と列王記にわけられた後、それぞれが上下巻に分けられたのです。
列王記とは別に歴史書として歴代誌があります。これはアダムから王国の滅亡までを描いたものですが、南北分裂後の歴史については南ユダを中心に描いています。
そのようなしだいで、それらの2種類の書には重複した記載がありますが、それらを読むことにより、王国の時代に起こった出来事をいろんな角度から知ることができます。

●二つの王国
イスラエルは「北イスラエル」と「南ユダ」の2つの国に分裂しました。どちらの国も歴史を通じて多くの王が立てられましたが、その内容には大きな違いがあります。
その違いは、南ユダの王は常にダビデの直系の家系のものが王座についていましたが、北イスラエルは何度も下克上を繰り返しており、混沌とした状態でした。

もっとも、別の王が立てられたときに必ずしも謀反だったわけではありません。神の介入によって、神が新しい王が立られることも何度かありました。しかし、たとえそうであっても長続きはしませんでした。

南ユダの王家はどうして続くことができたのかというと、第2サムエル7:12―13)で「7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」と神が約束したからであり、基本的にダビデの血統だけが治めているのです。
この学びでは南ユダの王様を中心に解説いたします。

■ヨアシュ王
ユダのヨアシュ王の功績は宮の破損を修理したことでした。
彼の存命中、北イスラエルに同名の王が登場します(2列王記13:10)。彼は預言的行動として、エリシャから「矢で地面を打つ」ように命じられましたが、それを徹底的にしなかったことから、実際に徹底的に敵を打ち払うことができませんでした。(2列王記13:19)

■アサ王(1列王15:9)(第2歴代誌14:1) 彼は主に熱心な人でしたが後に離れてしまいました。

偶像を取り除くことに努め、その熱心は実母を皇太后の位から退けるほどでした。(2歴代15:16)

第2歴代誌15:2 そこで、彼はアサの前に出て行き、彼に言った。「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。

しかし、彼は問題が生じたときに、人間的な方法とお金で問題を解決をしようとしました。その過ちを指摘した預言者を牢に入れ、また、民を圧迫しました。(第2歴代誌16:10)

第2歴代誌16:9 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」

神は病気を通じて悔い改める機会を与えましたが彼はそれを退けました。(2歴代誌16:12)

■ヨシャパテ王(1列王記15:24)(2歴代誌17:1)
南ユダに良い王様は何人もいましたが、必ずしも治世の最後まで一貫して良い王であったわけではありません。しかし彼は生涯主に忠実でした。

彼の人生で有名なのは「賛美をするものが戦いの先頭に立ち、主に感謝の歌声を上げたときに敵が同士討ちをし、勝利した出来事です」(2歴代誌20:21)

実際には賛美だけでなく、断食が布告され、主にへりくだり、主を呼び求め、預言者の預言によって励まされる出来事があったことを忘れてはなりません。

■ヒゼキヤ王(2列王記18:1)(2歴代誌29:1)
「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。」(第2列王記18:5)と呼ばれるほどの王様でした。

ヒゼキヤ王がしたひとつの良いことは南ユダと北イスラエルの残りの民が共に行う礼拝を導いたことです(第2歴代誌30:1〜)。これはソロモンの死後初めての画期的な出来事でした(30:26)。

(ノート)ちなみに、アッシリアによって北イスラエルの多くの民は他の地方に移され、他の民族が北イスラエルに住みました。その混血がサマリヤ人の先祖だといわれています。
彼らは主の礼拝方法を知らなかったので、神の災いが及びました(2列王17:25)それで、祭司がそこに呼ばれ礼拝方法を指導しましたが、彼らは主を礼拝しながら、自分たちの神々にも仕えてました。

北イスラエルの10部族は失われた十部族と呼ばれており、世界中に散らされたとされています。しかし、実際には全ての人が散らされたわけではありません。(第2歴代誌30:25)の「ユダの全集団と祭司とレビ人、およびイスラエルから来た全集団、イスラエルの地から来た在留異国人、ユダに在住している者たちは、喜んだ。」という記述を見るなら、完全に散らされたわけではないことがわかります。

第2歴代誌31章ではれレビ人、祭司職の改革を行い、働き人を気遣いました。

戦争において御使いが戦い18万5千人の敵を倒すほどの奇跡を体験しておりました。
しかし、人生の引き際が悪かった為に、不可逆的なわざわいをユダにもたらしました。

彼が死の病に伏しており(2列王記20:1)預言者が「あなたは死ぬ。直らない。」と宣言するほどでしたが、彼は主に懇願し奇跡的に癒され15年寿命が延びました。
これは、主が哀れみ深い方であることをあらわす出来事でした。

しかし、彼はその恵みを当然のものとし、感謝し証をするどころか、「ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。(2歴代誌32:25)」(2列王記20:13)という状態になりました。

預言者イザヤはその過ちの報いとして「ユダ王国はバビロンに征服される」ことを告げたのですが、彼の反応は「自分が生きている間は平和だったらそれでよい」という無慈悲、無関心という反応でした。
彼が王となる直前(2列王記17:23)に北イスラエルはアッシリヤに滅ぼされたことを知っていながら。

また、ヒゼキヤ王が合同の集会を導く時に、散らされた北イスラエルをあわれみ、主に立ち返るように告げて人々を集めた(第2歴代誌30:6〜)にもかかわらず。

彼は死にその息子のマナセが王となるのですが(2列王記21:1)彼は偶像礼拝をし、自分の子どもを悪霊にささげるなど、最悪の王となりました。その悪さは、その2代後のヨシヤ王が改革を行い、「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。」(第2列王記23:25)と呼ばれるほどの業績を残したにもかかわらず、主の怒りはおさまりませんでした。(23:26)

「それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行ないのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。」(23:26)ほどなのです。