こんな事がありました

 

 真の神を求めていろいろ宗教に関わった女性の場合

 事業で成功してほしいものは何でも手に入った青年実業家の場合

 昔は目立たなかったが今はクリスチャンバンドで活躍している人の場合

 もと美術作家の場合

 あなたにも用意されているプレゼント

 


私が出合った真実の愛と喜び

私はクリスチャンになって今年で3年目です。以前の私は大変高慢で、自分は何でも出来ると思っていました。そして霊的なものに興味をもっており、修行によって人生の苦悩から解放される、といった教えを信じていました。しかし、ある時この教えに疑問を持ち始めました。それは修行が出来ない人には救いがないからです。それでも私は愛に満ちた神が存在することをぼんやりとは信じていました。それからキリスト教関係の本を読むようになり、ある日「神の一人子キリストが罪人である私達を罪から救い出すために、十字架にかかり、よみがえられた。」という言葉を読んでいたら自分でもびっくりするほど素直にその言葉が心に入ってきたのでした。

そんなある日私は、教会で催されるあるコンサートのチラシを見て、思い切って行ってみる事にしました。そのコンサートこそ、CDアルバム「われら神の民」を録音する為の集会だったのでした。会場は熱気で満ちていました。想像していたより、にぎやかな曲だったので驚きましたが、心から湧き上がる喜びと平安、そして愛がその中にあることを感じました。私は真実の神の存在を理論ではなく、心から実感したのです。それで、その集会の後にイエスキリストを救い主として心に迎え入れました。私は救われたのです。

私達は誰でも個人的に神様と関係を持つことが出来ます。神様にとってあなたは大勢の中の一人ではなく「高価で尊い」存在なのです。あなたに目をとめ、あなたに手を差し伸べて、永遠の命の中にあなたを迎えたいと望んでおられるのです。
 3年前に私が知った神の愛と恵みを皆さんも体験できますようにお祈り申し上げます。

最初に戻る   


事業で成功してほしいものは何でも手に入った青年実業家の場合

私の名はロドルフォ・ガルサと申します。メキシコから宣教師として日本にやって来て今は札幌クリスチャングループの牧師をしております。
私は大学で食品化学を専攻し技師として働いた後、メキシコの大手の鉄鋼会社で若くして重要な地位を与えられました。その後独立しプエブラ市にて建設資材の事業を始めました。経営は順調で美しい妻と3人の子供に恵まれて、私はある意味において人生の成功者でありました。

しかし心の中には満たされない思いがありました。私は霊的に飢え乾いており、心の隙間を埋めるためにいろんな宗教、思想をかじりました。エジプトやインドなど世界各地を旅しました。世界の不思議を知りたいと思ったのです。UFOやチャネリング、ありとあらゆるオカルトに興味を持ちました。それでも心は満たされなかったのです。

ある日、私は夕日の沈む海岸を眺めながらその美しさに感動していました。この美しい大自然、確かに神と呼ばれる存在があるように思われるが、自分には分からなかったのです。私は神様に叫び求めました。「神様、もしあなたが本当に存在するならどうか私に御自身をあらわして下さい。」と。

それから数日もしないうちに私の家に古い友人がたずねて来ました。彼は私にイエスキリストについて話してくれました。その時心の中にある光が射し込んだ気がし、私はイエスキリストを心に受け入れました。
私は神やキリストについての知識はありました。宗教については知っているつもりでした。しかし神様が私と個人的な親しい交わりを持つことを願っておられたとは知りませんでした。その時から私の心は満たされました。家族の関係が親密になり、人生を心から喜ぶことが出来るようになりました。

私は教会に集いそこで教えを受け、成長しました。神様は私に日本と日本人に対する愛をを与えてくださり、救われてから7年後、今から8年前に私達家族は日本に宣教師として来る事になりました。

私は日本の皆さんを愛しています。そして一人でも多くの方がこのすばらしい恵みについて知ってほしいと思います。

最初に戻る


昔は目立たなかったが今はクリスチャンバンドで活躍している人の場合

以前の私は自分に自信が持てず、地味で目立たない存在でした。しかし心の内側では自分の言いたい事が表現できない自分自身に苛立ちと葛藤を持っており、いつも別の人間に変わりたいと思っていました。

ある日友人に誘われて教会に行きました。そこは明るくとても自由な雰囲気で、自分自身を無理に自己主張しなくても私をありのままに受け入れてくれる人々の暖かさがありました。そこが気に入って教会にちょくちょく顔を出すようになりました。
ある日友達に自分の心の汚い部分についてうちあけました。しかしその方は私を責めることなく、ありのままの私を受け入れ、励まして下さいました。
私はそれまで神様は私達の手の届かない所におられて、私達を見張り厳しく罰せられる方だと思っていましたが、そうではなく神様は私達を有りのままの姿を受け入れて下さり、愛して下さる方だと知りました。また教会での人々との交わりを通じて少しずつ過去に受けた傷が癒されてきました。

今、私は教会で賛美チームに入って歌を歌っています。昔の私は自分に自信が無かったので、大きな声が出せなかったにもかかわらず。今の私を昔の友人の誰が想像できたでしょうか。いま私は誰か別の人になりたいとは思いません、自分に自信を持つ事ができます。私を作り変えて下さったこのイエス様の事を一人でも多くの人に知ってほしいと思います。

最初に戻る


もと芸術家の場合

 わたしは現在34歳で岡田好弘と申します。私は大阪芸大にて西洋美術を専攻し、卒業後も作家活動を続けていました。4回ほど個展を持ち、海外のコレクターに作品を買い上げられた事もありました。私は作品創りを通じて真理を探究していました。それゆえ技法的には油絵による抽象画ですが、その作風は哲学的でありある意味において霊的であったと思います。

それゆえ私は宗教についても関心を持ち研究しておりました。そういった関係で聖書にも興味を持ち読み始めていました。その時私は聖書が特別な書物であることを知りました。それは、この世にはたくさんの宗教があるがそれらは2つの陣営に別れているという事に気がつきました。一方は聖書を攻撃し批判している宗教、思想です。もう一方というのは聖書を何とか味方につけようとしている宗教があるということです。

それで聖書を素直に読んでみたら書いてあることの中心はイエスキリストについてでした。

私は神について研究しておりましたが私の知性によっては神を知ることはできませんでした。しかしある日、以前読んだ聖書の言葉が私に強く迫って来ました。私は自分が罪人であることを知り、自分なりに悔い改めをしてみました。その時私は神が生きていることを知り、私を愛してくださっている事を知りました。そしてこのかたの内にすべての真理があることを知りました。私は自分の作品によっても、研究によっても真理を知ることはできませんでした。でも自分が悔い改めたときに私は真理知ることができたのです。

ある人はいいます。真理は追究するのが楽しいのであってみつけてしまえばもうつまらない。見つからないのが真理であり、見つからないほうがいい」と。

しかしそういう人はある大切なことを見落としています。それはまるで「女性を口説くのが楽しいのであって、お付き合いするのはつまらない」と言っていることに似ています。そういう人はひとときのスリルは楽しめても女性との人格的な交流は一生味わえないでしょう。

私は自分の意思ではじめて教会に行きました。賛美の歌が歌われているときに私は長い間神様が私をここに導く為に待っておられたことを感じました。それ以来私の真理を探求する旅は終わりを告げたのです。これからのち私は真理の探求ではなく真理を用いていく生活が始まりました。

それから数週間後に私は洗礼を受けました。それ以後心がずいぶん軽くなっていることにかがつきました。過去の生活、自分が今までしてきたことを思い出しても心が痛まなくなっているのです。

それだけではなく、私はそれまでアレルギーで体全身のかゆみに悩まされてきていましたがそれがその時以来、薬を必要としなくなったのです。そのかゆさは高校生のときから始まり、だんだんひどくなってきました。最初は3日に1粒の薬を飲んでいたのがだんだんひどくなってきて、最後は一日に3粒をのみそれでも収まらず、またのどが1年中はれていて、ほとんど毎日微熱があり、夜寝ても疲れがとれない体質でした。しかし主はそんな私の体を癒してくださったのです。

私は今教会で英語とスペイン語の通訳の奉仕をしています。でもこれは私にとっては本当に奇跡です。私は学生時代にはぜんぜん語学が出来なかったからです。学生時代の私の友人がそれを見たらビックリすることでしょう。「イエスキリストを信じる人はどんなことでも出来る」という聖書の言葉は本当であると実感しています。

神様が私たちに持っている計画は私たちに災いを与えるものではなく、平安を与えるものです(エレミヤ29:11)。

私たちは神との親しい関係を持つ事がなければ不完全で満たされる事がないのです。これらのすばらしい約束は私だけに与えられたものではなく、これを読んでくださっているあなたにも与えられています。
今まで環境を変えれば、何かに熱中すれば、成功をおさめれば幸福を手に出来ると思っていましたが、それはうまくいきませんでした。ただ真の神様とのリレーションシップによってのみ幸福、幸せ、満足、成功を手に入れる事が出来るのです。
この神様との関係はただイエスキリストを通じてのみ回復する事が出来るのです。イエスは言われました「私が道であり命であり真理である。私を通じてでなければ誰も父のもとに行く事が出来ない。」(ヨハネ14:6)と。

もしあなたがイエスキリストを受け入れていないなら、あなたは人類に入り込んでしまった罪の為に、永遠に天の父と離れて滅びに向かってしまいます。 

あなたにも用意されているプレゼント

私ちはみな昔からクリスチャンだったわけではありません。ただ共通していることは人生のある時点でイエスとの特別なを経験し、自分達に命を与えて自分達を愛してくださっていた神様との関係が回復したのです。

私たちは宗教をしているわけではありません。皆さんにも ご両親がいる(いた)ことと思います。自分の親の存在を信じることは当然ながら宗教ではありません。同じように自分に命を与えた方である方の存在を信じることは宗教ではありません。
でも実際問題多くの人にとっての問題は、神様が存在するような気がするがよく分からないという事にあります。それは私たちと神様とのあいだに妨げができてしまったからであると聖書は明確に語っています。その壁は私たちの持っている罪の性質なのです。私たちはこの罪の性質を持っているので、悪い事に走ってしまい、そしてそれが表面化すると犯罪となってしまいます。
神様は私たちの心を見ています。たとえ犯罪を犯していないからといって私たちが神様の前に罪がないというわけではないのです。
神の子であり神御自身であるイエスキリストを信じるものはすべての罪が許されて本当の神様と親しい関係を取り戻すことができます。その関係はあなたの人生に答えを与え、すべての問題を解決へと導くでしょう。

イエスキリストは、神の御子で、わたしたちの罪の身代わりの為に、十字架で死んでくださいました。それから、三日後によみがえり、天に上られ今も生きています。イエスキリストは今のあなたを、ありのままで愛しています。
彼は、すべての罪をゆるすことのできる唯一の存在です。そして、心の傷や病気をいやし、あらゆる圧迫から解放し、豊かな人生を与えてくださいます。
聖書には「罪を悔い改めて、このイエスキリストを救い主として受け入れるなら救われる。」と書いてあります。
私たちはみな少しは信じている事と思います。少ししか信じていない人も安心してください、神様はあなたの信仰を大きくする事が出来ます。大切な事はあなたの信じている事を口に出して告白する事です。

イエスキリストを受け入れるために、次の祈りを告白してください。心で信じて口で告白する人は救われるのです。

 

「主イエスさま、あなたが私の罪のために、
十字架にかかって、死んでくださったことを信じます。
私の全ての罪をゆるしてください。
私は、あなたが死からよみがえったことを信じます。
イエス様、今どうぞ私の心に入ってください。
あなたは私の主です。
私を救ってくださったことを感謝します。 アーメン。」

 

3つのお勧め

1、聖書を読んでください。(ヨハネの福音書から始める事をお勧めします)

2、イエスキリストの名前によって祈ってください。(この方によってのみ私た ちは神様との親しい関係を回復する事が出来たからです。)

3、聖書を正しく信じているクリスチャンの教会に集ってください。そこでクリスチャンと交わりを持ち、成長するためです。

 

最後に

イエス様を受け入れた方も、そうでない方もどうぞ私たちの集会に遊びに来てください。私たちはあなたを歓迎いたします。

 最初に戻る