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良い雰囲気

たまたま良い人ばかりだからというわけでもない

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私たちの教会の雰囲気はとても良いです。安心して安全に過ごすことができる場所です。競争、裁く思い、高慢、マウンティング、反発というものは感じられません。とはいえそれは、たまたま良い人たちが集っているからそうなったというわけでもありません。

教会の雰囲気の良さは、これまで説明したような教会の特徴や運営方針がもたらす結果として、問題や争いを生じさせにくいようにしているからだと思います。

組織の運営方針が左右する

たとえば会社という職場環境に当てはめて考えてみてください。雰囲気が悪い職場というのはどこにでもあります。そうなってしまう理由は意地悪な人がいるからかもしれませんが、しかし、けっこう多くの場合会社の経営方針に問題があるためにそうなってしまう場合が多いです。

たとえば、仕事量が多いために他の人を気遣う余裕を失わせたり、社員にノルマを課して敵対心をあおり競争させたり、上司に媚びる人を登用したりなどといった理由です。そういった場合、経営者側がやり方を変えるだけで職場の雰囲気ががらっと良くなることもあることでしょう。

以前の私たちの教会も、行き過ぎた熱心や霊的になろうとするあまり、知らず知らずのうちに高慢にさせたり、ライバル視させるような要素を作ってしまっておりました。現在の良い雰囲気は、そういった悪いものの種を一つ一つ取り去った結果なのです。
ついでに言うなら、先ほど書いた職場の雰囲気を悪くする意地悪な人ですら最初からそうではなかったかもしれません、もしかしたら、その人もまた間違った運営方針の犠牲者だったかもしれません。

私たちはその他の世の組織とは異なる

それでも会社の場合は営利目的なので結果を出す必要があります。ですから働く人にプレッシャーがかかってしまう事も時には起こってしまいますし、働くほうも会社が倒産したら自分の生活が成り立たないので、多少無理して、職場の人間関係をたとえ悪くしたとしても頑張ることもあるでしょう。

しかし、教会においてはそのようになってしまう必要はありません。 「愛、喜び、平安、感謝、思いやり、尊敬」などといったことを犠牲にしてまで成し遂げなければならないことなど何もありません。むしろ愛や喜びといったものが自然と芽生えるような環境を作るなら、成し遂げたいゴールに達することができることでしょう。ですから、そういったこそ私たちが努めなければならないことです。

弱さをさらけ出すことができる環境

これまで説明したような教会の運営スタイルのゆえに、集まる人は誰もプレッシャーを感じておりませんし無理強いされることもありません。境界線を侵害されませんし、奉仕をするよりも家族と時間を過ごすことが尊ばれます。
自分を立派に見せるのではなく弱さをさらけ出すことを牧師やスタッフたちが率先して行っているので、だれに対しても自分を立派に見せる必要もありません。
ですから、悪い雰囲気が生じない理由は、たまたま良い人たちが集まったからではなく、悪くなる要素が排除されているからだと思います。

環境が良ければ成長できる

確かに、教会として必要なことは、健全な環境を準備することだと考えています。 人の成長とは植物のようなものです。植物が成長するために何か特別なものが必要なわけではありません。土が必要なのはもちろんですが水と日光、そして適度な気温があれば植物は自然に成長します。 そのように、人の内には自然に成長する機能が備わっているのです。

 

 


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