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離婚、再婚、シングルマザー・ファーザー

私たちは祝福いたします

教会と言う場所はともすれば離婚者に対して疎外感を感じさせる場所かもしれません。誰も責めなかったとしても聖書の言葉にそれっぽい言葉もあるので、自分で疎外感を感じることもあることでしょう。

photoしかし、私たちの教会にはそのような雰囲気はありません。それは単に励ましたいからそういうのではなく、下記にあるように御言葉に基づいて見たとしても、離婚者やシングルマザー・ファーザーという立場が特別に良いとか悪いというものではないと考えているからです

不公平な考え方はしていない

これは拡大解釈ではありますが、聖書に基づいて考える時に、結婚外でセックスをするときにそれは霊的には結婚とみなされる(参照:申命記22章28-29節)(第1コリント6:16-17)と私たちは考えます。

今日結婚外で不品行を行いその後別れる事はよく見られるものですが、もし、そうであるなら、それは霊的な意味においては結婚して離婚したことを意味します。それにも関わらず、そういった人が結婚して婚姻届けを届ける時に、初婚として祝福され、離婚者、再婚者が疎外感を感じるとしたらそれは不公平だと思います。

シングルマザー・ファーザーに対する支援

シングルマザー・ファーザーは多くのプレッシャーと忙しさの中にいることがあるでしょう。私たちはそういった方々に対して実際的な支援をしたいと願っております。


律法の定めを超えた神さまの愛と恵み

神さまも離婚された

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私たちが離婚者を尊ぶのには理由があります。それは神さまも離婚されたからです。旧約聖書によると神さまはイスラエルを娶り結婚されました。しかし、イスラエルが裏切ったために離婚されたのです。

律法を超えた神の愛

その後、神さまはその憐みのゆえに再びイスラエル選びました。しかし、これは神様ご自身が定められた旧約の律法に反していることです。(参考:申命記 24:4 )しかし、神さまはそれをなさいました。それは神の愛と憐みは無限でありその愛は律法よりも上位にあるからです。そして誰にでもやり直すチャンスが与えられているのです。

誰でもやり直す機会が与えられている

福音の最も重要な点は人類の救いであり、キリストと出会うときに誰でも人生をやり直すことができるということです。ですから、私たちはそういった立場も同様にチャンスがあると考えているのです。

それはクリスチャンでも同様です

ある人は、神の赦しと憐みは神さまを知らずに離婚した人のための物であって、それはクリスチャンになってからの場合は当てはまらないと考えます。そんなことはありません。クリスチャンとは完璧な存在ではありません。そしてまた神に愛される存在です。

回復の支援

そのようなわけで、私たちは離婚や再婚した出来事に対してどうこう言うよりも、それを通じて、何か人生の回復、アイデンティティーの回復の機会があるのでしたら、それを支援したいと考えています。多くの場合、そうなってしまった原因の中に癒しが必要な部分があるからです。そういった回復を可能にするのがコミュニティーの力なのです。


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