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世の光、地の塩としてライフ・プレイスで仕える

塩が結晶のままで存在していては味わっていただけない

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イエス様は私たちが「世の光、地の塩」であることについて語られました。 塩とは何でしょうか?私たちが日常的に接する塩は料理の味付けに使われるものであり、私たちの生命を維持するために必要不可欠なものです。

それほど大切な塩ですが、料理された時にはそれを見ることはできません。言い換えるなら塩は結晶であることをやめて溶け込むときにその真価が発揮されるのです。

このことは教会にも言えることです。教会のメンバーたちが神様にある家族として定期的に集い交わることはとても素晴らしいことです。また、それはガソリンスタンドのようにエネルギーを補給する時であると言えます。
しかし、もし信者たちだけで集まっているだけであるなら、それは塩が結晶として存在しているだけの状態です。この社会のために役立つことはできません。先にライフ・プレイス・ミニストリーについて書きましたが、神の御国の価値観を、この地上で伝えていくためには、私たちは地の塩として社会に溶け込んでいく必要があるのです。


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